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文学部と同級生と進路選択と

子供のころは文学部に入って、歴史作家あるいは史学の学芸員とか研究者になれればという思いがあった。歴史が好きだったからだ。

しかし、違う道を選択した。要因の大きな一つが小中学生の同級生の存在だ。

良く本を読む人だった。読書量は全然及ばない。歴史についての知識もすごい。社会のテストもそうだったけれど、国語のテストは学年でも上位だったように記憶している。彼が持ってきた偉人伝をよく読んだものだ。そういえば中学生の時、借りていた漫画・封神演義のかどをおって返してしまったら、きれられて二度と本を貸してもらえなかった。

中学にもなると多少進路を考えることにもある。中学校の生徒は200人程度いた。きっと、歴史作家や史学の学芸員とか研究者になるのはこの中で多くて一人程度で、その場合自分よりも彼の方が選ばれるだろうと。そんな思いが漠然とあった。

彼とは違う高校に入った。理科の科目はあまり興味が無かったけれど、文系よりも理系の方が就職口もありそうだったし、あんまり興味がない分野の方が大人になって独学で勉強することもないから理系を選択した。もちろん彼の存在もその決定を後押しした。

大学に入り、彼と再会した。彼はいわゆる難関大学の文学部に進んでいた。彼が言うには、「みんな俺より本をよく読む」とのこと。驚くとともに安心した。そんな高いのレベル人達と戦えない。逃げて正解だったと。

それ以降彼とは会っていない。ネットで軽く検索したところストレートに就職はしてなさそうだった。彼は今何をしているのだろうか。

自分は、すったもんだしたけれど結局「専門」に救われて就職することは出来た。今の仕事は自分自身は適職だとは思わないけれど、やりがいは無くもない。きっと良いも悪いも「運命」に導かれたのだと思う。

今、こうやってnoteで文章を書いている。歴史物を書いている訳ではないが、文章を書くこと自体は好きなのだと思う。結局、スキなことは勝手にやっているものではないのかなと。職業にする・しないとはまた別問題なのかなと。

適職にめぐりあえれば、それはそれでいいことかもしれないけれど、仕事のシーンだけが人生というわけではないと思う。仕事外の時間いわゆる趣味の時間も含めてどういった人生をデザインできるか。落としがちだし、そもそも自分もそんなこと考慮しなかったけれど、進路を選択する際に必要な視座なんだと思う。

#コラム #エッセイ #進路選択