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フェイストゥフェイス。(理容師/美容師)

いきなり個人的な話だが、
ブログを定型から書くのを
なんとなくやめてみた。


特に意味はないが、
書きたいことを減速させない感じですすめたいなーという
思いつきです。

佐藤です。


最近って、
リアルもジョークもフェイクも、
見分けがつかず
一緒になってきてる様な、
側面に出くわすことがある。

フェイクレザーみたいに

最初から、これはフェイクだ!って。


でも、
本物よりもメリットがある!

とか
言ってもらえたらありがたいんだけどなぁ。


情報がすぐ手に入る時代だ。


一瞬で情報に繋がれる
便利はいい事だ。

でもね、
扱う側が、扱われちゃってる? と

最近思う。

自分も、もれなく、そんな時がある。




沢山の場面で、
見分けがつかないほどに、
フェイクが外堀を埋めて
本物のようになっている。

見分けれるか。

疑えるか。

この先も、沢山そんな情報が
出てくるだろうな。

これは、うそだ!


これは、
フェイクだろ!
と。

一歩引いて、

かんがえれるか。


疑えるか。


物事の中枢の核は、

そんな、ふわふわしていない。

ジョークみたいな情報が
あまりに多くて、
埋もれ
本物に辿りつかなくなってきてるんだよなぁ。



自分の仕事は髪を切ること。



膨大な情報の
真髄の部分を、多角的に見て、
抽出して
収集していく。


それを自分の経験値を通して、
選別していく。

それを、
お客様に提供する。

多少、そこに主観もあるが、
情報の伝達は
ひとつの価値だと思っている。



最後の最後は、
リアルな体温で、
情報や技術を受け渡していく

アナログなやり方だけが
最後の一線でリアルに本物の
証明になるんじゃないかと
常々感じる。

フェイストゥフェイスだ。
(顔を突き合わせて。対面で)


だから、

自分は

リアルな仕事で存在したいし、

リアルな情報を与えたいし

本物でいれるように
自分を磨かなきゃならないよね。

もし、騙されるなら

マジックのような

幸せになれる


ジョークがいい。






話は少し変わりますが

この本を数ヶ月前に読んだ。

自分をどの立場にあてはめて、
この考え方を読み取るかで

正直、賛否両論あると思う。

だけど、自分は
これだよなぁー!と感じた。


率直にこういう考え方の
商売をしたいなと思いました。

自分にとっての、”普通”とはなんだろう。

総合的に、平均的なものではない。

著者の方が
どのようにして、そこにいきついたのかなという経緯も考察できる。

世の中の正しいというよりも、
自分の中心に忠実か。


柔らかい部分と、譲らない部分を

しっかり持ってらっしゃる人間性を感じる。

そして、人の温度を感じる商売。

現代のツールを、時代の流れにあわせ
伝える為の手段として扱い、
想いをしっかり伝えるべき人に
伝えていってる。

核となる部分にはぶれがなく、
それでも、ただの頑固でもなく、
時代にあわせる柔軟性もみえる。

そして、
"想いを伝える手段"は、
柔軟であることの必要性を教えてくれる。


人間らしく生きる大切さ。

僕も
伝わるべき人へ伝わっていく
届くべき人へ届く

体温みたいな温かさと

フェイクでもジョークでもない


本物の時間を提供していく空間をつくっていこうと思った。



*************


ゲームクリエイターのお客様と話した時。

『今は、本物の担保の在り方が変わってきてる。
情報源として、自分の存在がアクセス出来る目に触れるところにあること、
それが自分の本物を証明してくれる存在の担保になる。』

要は、肩書きや口だけじゃない信憑性だ。

それを
アクセスできるとこに、
リアルの表現や自分のスタイルとして
構築をする事だ。




冒頭の話とは少し矛盾するような話だが、


デジタルもアナログも
二元論で片付けれない

共に歩んでいく流れがあり

受け手、送り手、
在り方を模索してるという表現が適切だろうか。



今は視覚的情報量が多いだけに、

個人発信においては

自分自身が
"興味が薄いもの"を
"魅力あるもの"として


言い換えれば”本物”として
存在させれるほど甘くはないよねと話した。



Aiが優秀になってきて、作業的なところへ

むしろ、創造的部分にも踏み込んできてる。


そんな部分が、削ぎ落とされても、

人間が伝えれることってなんだろう。


その答えが、

仕事のジャンルを超えて、

なんとなく、リンクした。

ワクワクした。

(音楽もジャンルを越えたとこにある
交わる共通ラインに、いつも自分はワクワクする。)


時代の流れが速いから、

定型の答えなんか存在しない。


下駄をはかされた努力はやめて、

つまるところ、楽しいことをやろうってこと。



前ならえで、過去の努力美学みたいなものに、

今まで費やした エネルギーを

熱中できることに使おうよ。


そこから湧き出てくることが

他に代替えの効かない自分らしさを

表現していく。


シンプルに、それが

答えのような気がしてならない。



そんな戯言を書きながら、

対面で向き合う店の在り方と

好きな音楽を聴きながら

ワクワクすることを

考えている。





最近、一人で音制作の遊びをしてる。
バンドとは違う切り口が楽しい。

自分だけで音を作りたいなーと思う、きっかけになる音だったかもしれない。
作業BGMにもなるし、睡眠前にも聞ける。そんな音。


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