幸せオカン計画やめました

今朝、猛烈に不愉快だったジェニーです


私は母親が嫌いです

距離を置くと、優しい気持ちにもなれたのですが
やっぱり近くにいると気持ちが悪いのです
気が悪くなるのです
それまで私の中の細胞たちに小気味良く流れていた旋律が一気に崩れガチャガチャに不協和音になるのです

別に何かされたわけではない
むしろ世話になっている
たくさん迷惑をかけている
これまで何度となく助けてもらってきた
住む場所も、食べるものも
そういう意味では感謝はしている

だから人として、そんな存在の人に、理由もなく刃を向けるなんて
心が痛む

親切にしてもらったのに、育ててもらったのに、恩返しができないのは、私が人としての最低限のマナーができていないんじゃないか

人間関係を良くしたかったら、まず親子関係、家族関係を良くすることだと、昔、何度か言われたり、見聞きした


「嫌でも直接じゃなくても、親に対して「ありがとう」って言い続ければ変わるよ」そんな言葉を言った人もいた


その人自体を私は好きじゃなかったのに、言葉に支配されやすい私は、それを聞いてしまったら、そうしなきゃダメなんじゃないかって、そりゃあそうできたら、ポジティブな人間って感じがするし、悩みながらも成長しようとしている立派な人にも見えるし、もっともらしくも聞こえるけれど・・・

「親に対して」ってところを都合良く無視して、シンプルに「ありがとう」って言葉だけを採用すればよかったのに、不器用な私は、嫌なものだからこそ意識が囚われ、そこにロックオンしてしまって、ますます最悪な気分と体調にしかならなくて、それでも、やっと、宇宙理論を、ハッピー理論を知った今では、そりゃあますます状況悪くなって当たり前だって分かる

それから、ちょっと良くなったメンタルにかまけて、またお節介魂が再燃して、間違いを起こしてしまった

散々無視しているから、私は母と長時間居るのは無理だし、ましてや介護なんて無理だから、せめて健康寿命が伸びれば、と、今ある苦痛が少しでも楽になれば、と、自分が調べて「これだ!」と思う逸品たちを母にプレゼントしてきた

とっても大変な思いをした母だからこそ、どうしても気になるからこそ、心の底ではただただ幸せに、健康に、元気に生きてほしいって母に対しての強い熱い深い想いがあるからこそ、がんばってしまった、無理してしまった、自分の中の「自分」のバランスを無視してしまった


今回も、集大成かと思うくらい良いものを見つけ、楽になって欲しかったのだが、なぜか知らないけれどやめていた
徐々に気分の悪くなっていた私はもう、本当に、もういい、と思い理由も聞かなかったし、聞けなかった

そして、母に認められたいって気持ちは、自分が自分を認めていないことからきているってことも宇宙理論で学んでいたから

母がどうこうじゃない
まずは自分だ

そう頭では、知識では理解できていたけれど

悲しかった
傷ついた

引きこもって、まともに働けなくて、せめてもの役に立ちたくて、自分が得意だと思える健康分野での貢献をしようと計らっても、拒絶される
ありがとうも、ごめんねもない、もはや健康になりたくないのかもしれない
知らない
どうでも良い
もういい

そこに色々な事情も感情も言い訳も思いもあるんだろうけれど

もう知りたくないし、知ったところで、私が変わらない限り同じことが繰り返されるだろうから


あるときは、マッサージの施術、あるときは、水、あるときは、酵素、あるときは、宇宙理論、あるときは、手料理

「ありがとう」って言われたことはあっても、褒められたことも、母から求められたことも、何かを勧められたり、励まされたり、認められたことが一度もない

あ、学生の頃の宛名書きくらいか


何でもかんでも褒める親も変だと思うし、親の方が精神性低い場合があるから、子供の才能を見抜き育てるのが親の務めだろって言うのも横暴だっては思う


けれども、だけれども、だからこそ

親とか家族にこだわらなくていい!!!!!!!!!!!!!
と、声を大にして言いたい

自分には価値がないって思っていたとしても、そこに真実はなくて
親元から、家族から、地元から、その場所から、人間関係から、離れてみることで本来の自分を取り戻し、生き生きと毎日を生きられる場合もある、と言うこと


よく結婚するパートナーが家族思いの方が、結婚がうまくいく、と書いてあったりするし、私もそうだと思い込んでいたから、親との関係、兄弟との関係を良くしようと無理をした


でも、そうでもない
むしろ
親離れできているとも言える

そう、中学生の頃から反抗期なのに、母が死ぬのが怖くて、嫌でたまらなかった私は、ずーっと葛藤していた
母の過干渉、過保護がウザくて、黙って見てくる目がキモくて、自分の後ろ姿すら見られたくなかった
高校時代はろくに話もしなかった

大人になっても、母が死ぬのは怖くて、嫌で、それでも近くにいると優しくできないから、そんな自分がまた嫌で、苦しくて

だから、今の私は、これで良いんだって
歪んで見えるかもだけれど、自分のショックを和らげるために
今から母と物理的にも、精神的にも距離を置くために、一連のことが起こっている

私はやるだけのことはやったから
あとは、どう死のうが、母の勝手
私があとは何ができなくても、大丈夫

母は、母で、自分を生きればいいし、生きられる
私は、私で、自分を生きればいいし、生きられる
それでいい


もっともっと自分と向き合い、話し合い、いつでも、どこでも、自分の本音、本当の気持ち、今のリアルな自分の波、周波数、振動数、エネルギーがどんな動きをしているか、ちゃんと見れるように、わかるように、知れるようになって、ちゃんと自分がOKってなってからでいいのかも


先日の腹が立った母の言葉も、今朝の言葉も、言い方とか、内容とか、態度とか、全部が気に食わないし、頭ではそんなことを感じる必要ないってわかっているけれど、傷ついてしまって、ムカついてしまって、悲しくなってしまって、心も体も痛くて、息が吸えなくて、死にたくなって、


なにが一番ムカつくって、悲しいって、今すぐここ(実家)を出られないこと

猫を連れて、どこに行けば良いのか
車があったとしても、ガソリンも入れなきゃだし、まだ暑いし、狭い車内で寝泊まりも辛いし・・・

それで、バンガローを試してみたけれど、やっぱり猫も私も落ち着かなくて


それでも、私は私自身を責めることも、否定することももうなくなった

いくら母に悪いなって心が痛んでも、今は無理って、無理して話したり、接触するよりも、できる限り話さないし、近寄らない

気配すら感じたくない

一軒家で良かった

私の繊細なセンサーは5メートル離れていても落ち着かない

音やにおいはもっと遠くても飛び込んでくるからやるせない


忘れちゃダメなのは、私が良い状態で居ること、安定した状態であること


自分の気を、波動を、丹田を強くして、
まずは自分のハッピーな世界・暮らしを創る


1秒でも早くここを出たいから、焦ってしまうし、そうすると動けない自分を責めてしまいそうになるけれど


もう一度、今一度、思い出す
目を閉じて、深呼吸して
「私には価値がある」「私は自由」「私には世界を創造する無限のパワーが流れている」


そして、さっきのむかつく現象、言葉、エネルギーを蹴散らす
「うるせーうるせーうるせー」
「いらねーいらねーいらねー」
「うるせーくせーいらねー」
日頃の思いを吐き出す
相手にとか、どこかに向けてじゃなく、ただただ自分の中の毒を声と吐く息で追い出すイメージ

無のまま、お教や呪文みたいに言っていると
なんか途中で笑えてくる
巻き舌になったり、呂律が回らなくなったり、ふいに違う単語が飛び出したりして

なんなら英語にしてみる

「アイ ドント ニードっ」
「ノー センキューっ」

ノーセンキューって良い言葉だなと思っているのですが、ここで、ありがとうって言えて、おおーって思ったのです

外側の現象は自分の投影だから

カラクリはそうであっても、やっぱり怒りとか、感情が暴れている時には、すんなりそこに辿り着かないし、それで良いのです

ショックなことが起きる

え?
(心はズキズキ、ざわざわ、身体は緊張状態)

はあ?ムカつく!
ってなったのに

あ、いけないいけない、ネガティブを発したらいけないから、ポジティブに
「ありがとう・・・・」
(心はモヤモヤ、身体はギクシャク、頭はガチガチ)

これって全然心地良くない!!!!!!!!

ゆえに
さらに悪化したりもする

一見、良いことしたーってなるけれど
マイナス1000くらいの波動を一気にプラス1000に持っていこうとして
リバウンドするイメージ

それより確実で心地良いのは、
「うるせー黙れく◯やろー」とか
私は汚い言葉って嫌いです
聞いていて本当に不快だから、自分も言わないし言いたくないって決めています
けれども、時に必要な場合があって、毒をもって毒を制す感じなんです

それに、自分の汚い部分を見たくないがゆえに人の汚い部分を拒絶している
パターンもあるのです


「この世のうんは、あの世の金」

と、マドモアゼル先生はおっしゃいました


それに人に対して使うわけではなく、自分の波動調整のために使っているので無問題です

日頃から下品な言葉しか発しない人だと、無意識に自分にいつも低い波動を浴びせている状態だと私は思っていて、そうか、無意識か意識的かの違いで、起きる現象が変わるのか


とにかく

ムカついて、深呼吸もしたけれど、落ち着かなくて、自分の本音、今の素直な感情、身体の状態、ただ言の葉に放つ

初めは低いお経みたいな、猫もビビる声出しでもいい
そのうち必ず声色は変わる
もしくは溜まりに溜まっていたらなかなか変わらないかも

それでもいい

とにかく自分にOKを出す

いいよ!その調子!
それからそれから?
本当、その通り!さすがだね、やっぱり私はサイコーだね

絶妙に巧妙に快活に盛り上げてくれる永遠の絶対的味方が、全肯定して、愛とエールを送ってくれるから

まあ、今日はこのくらいにしておこうか、
なんて気持ちにもなってくる


そして、私は間違っていない
母に対しての嫌いな感情を再確認し、
ここ(実家)を出るという十分なパワーになる

そして、今日気づいたのは、むしろ、私が良いカッコしないから、本当の気持ちで過ごしているからか、ずっと私には何も言わなかった母が、こうやって自分の意見を私に伝えるようになっていること

そう、
これも私のおかげ

相乗効果

一見、険悪な家族関係だけれど
どうでもいい

大事なのは、本来の自分で生きること

嫌なことを嫌だって言うこと


良いじゃん

ハッピーじゃん


成功じゃん?


と言うことで

幸せオカン計画は終了!



めでたしめでたし◯

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