うとうと

引き渡してまた建てる
次は少し遠くてやりづらい土地
面倒が目に見えていてもどうにかはなるだろう

この棟で7棟目か
毎回出来ることが少しずつ増えていく
現場監督は面白い、と思えるところ

家が一棟建つ間にやることはそう変わらない
けれど出来ることが増えていく感覚とは
見なくてもいい部分が増えていくからだろうか

自分の中にアタリという定規ができる
アタリから外れている箇所は際立って見える
見なければいけない部分が変わっていく

お金とモノとヒトと時間
一棟に関わるそれら全てに定規を持たないといけない仕事
一度は経営者にならないと実現しないだろう目的への道

手を抜こうと思えばいくらでも
図面を渡してその通りにしてください
そんな監督がたくさんいるらしい

それでいいや、と思えないから
この棟も地面から全て描いていく
形あるものは何かが積層しているものだから

今まで在来工法の家を担当したことがなかった
梁や柱にはあらかじめ穴が開いていて
金属の棒を叩きこんでいくだけ

単純に足し算していって目的の高さになってるか
引き算して残った寸法に建具が入るかどうか
それはそれで単純ではないのだけど

在来工法、今のそれは厳密には違うけれど
金属の棒の代わりに木と木が刻まれていて
シンプルに楽しそうだな、と思った

刻める大工がいない、と言われている
刻む必要がない状況だから、という理由なく
年代が進んで出来なくなることはないだろう

もし自分が18,19で大工を志して続けていたなら
刻み方をたくさん作り出しては記録していると思う
探せば同じような人はいるはずで

木と木を組み合わせる
ほんの少し棚や階段を図面から描いてみただけでも
思い通りにはいかないんだなぁと感じさせられる

幹は丸くて柱は四角い
幹が四角く育つ木があればいいのにな
すぐそんなことを思ってしまう

丸から四角をくり抜いたら丸くなろうとする
癖なのか細胞それぞれの意思なのか
木は丸くなろうとする

当たり前のようで当たり前にしてはいけない何かを感じて
手癖のようにあらゆるものに結び付けたら
ヒトも丸くなるよなぁと思った

性格も身体も
指を切り落として放っておいたら
前より盛り上がって余分に成長してから摩耗して丸くなる

余分に成長する
なぜだろうか
ぴったりでも足りずでもなく

そして切り落としてなくなったはずの指先を感じる、という
木もそうなのかな、と思った
だから彼らも丸くなろうとするのかと

こんな感じで文章を書き始めるとハチャメチャになっていって
投稿せずに消したり、えいやと貼り付けてみたり
してるのも楽しくて、でも仕事があるので

ここで一旦


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