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8月6日|『わが命つきるとも-神父たちのヒロシマと復活への道-』

広島には、経緯度のほかに、【爆心地から〇km】という座標も、存在しているのかもしれない――。

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平和記念式典をテレビで見守り、平和記念公園へ。

国立広島原爆死没者追悼平和祈念館に行って来ました。

企画展「わが命つきるとも-神父たちのヒロシマと復活への道-」

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話は一旦、半年前にさかのぼります。それはまだ寒い冬のさなか...。
月に1度開催されている教会の勉強会で、"被爆教会としての歩み"のお話しを伺った折のこと。

エノラゲイが、従軍牧師の"祈り"を受けて飛び立ったこと。その頃、広島のその教会では"聖戦必勝の祈り"をしていたこと。

教会が発行し、教会員(信者さん)に配布していた週報。コピーを拝見しましたが、当時の礼拝次第や人々の生活ぶりが克明に伝わってきました。
"聖戦の完遂を祈り抜き..."
――これはキリスト教だけの話ではなく、仏教など他の宗教も同様だったそうです。また、"祈り"を"願い"に読み替えたとき、広く人々の間で願われたことでもあったのではないでしょうか。
 

何より怖ろしいのは、もし私が当時の人間で、縁あってその教会に通っていたら、私もまた、人を殺し戦争に勝つことをひたむきに祈っていたであろうことです。物心つく前からの教育に抗う力は、十中八九、ありませんから。


「この週報が、あの戸棚の中にあります」
小礼拝堂の壁にしつらえられている棚を示しながら、牧師さまが仰います。
「今日のテーマは、"祈り"とはなにか、です」


牧師さまは答えがあるときも敢えて仰らない方ですし、みんなで話し合っても、いつも答えは出ないのですが…

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祈りは上澄み。
ピュアな分だけ時に怖ろしい。
…と思いながら向かった今日の企画展。


世界平和記念聖堂(爆心地から1.2km)の神父さまたちが経験された、被爆当時の惨状。それを、抑制的ながら凄みのある写真や絵、詩人アーサー・ビナードさんの語りで伝える30分の映像でした。

そこに出てきた神父さまたちは、祈ってはいませんでした。周りの瓦礫を取り除いて、助け出せる人を助け出し、長束(爆心地から4.5km)にある修練院に落ち延びたあとは、助けを求めてやってきた人々の救護に努めました。
のちには毎週ミサを立てながらも、それ以外の時間は、実際に体を動かして他者のために活動しておられました。


なんだかとても月並みな感想ですが、祈ったり、心に思うだけでは、足りないということ。それをあらためて反省した次第です。


こういった映像を見ていると、免罪符みたいについ涙が出てくるのですが。でもね、思うのです。あの日、人々は、泣いてはいなかったのではないだろうか、と。
涙が出るのは余裕のあるときで、極限状態では涙も出ないのでは、と。

被爆証言や、その報道を思い返しても、涙のイメージとはあまり結びつきません。

祈りと涙とは、どこか似ているのかもしれない――そんなことも、思いました。


それから、平和公園付近にある本当の"爆心地"=島病院と、"爆心点"である空を見上げて。

今日も広島は、あの日を思わせる、空恐ろしいほどの快晴でした。

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あとは、写真のご紹介です。

とても晴れていました。

島病院の前にあるプレート。

おりづるタワー内。

おりづるタワー12階から見下ろす島病院。

手前にある説明写真、拡大しました。

13階。この先が展望エリア《ひろしまの丘》。

そこから見る原爆ドーム↑と、平和公園↓。

左右に細長い建物が、原爆資料館です。

企画展の映像は、サイトで見ることができます。学ぶため、というだけでなく、とても質の高い内容だと思います。↓

企画展『わが命つきるとも―神父たちのヒロシマと復活への道―』


#ヒロシマ #8月6日
#nuclearban  
#祈りとは #平和
#エッセイ

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