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秋の日はそれでも優しく

破壊されても
ヤン・レツルの建造物は美しい

1915年に建設され
以来、百余年経つけれど

もしもあの惨禍がなかったら
果たしてこの建物は
今も保存されていたのだろうか

四季折々の風が吹く
"ひろしまの丘"で

今日も
歴史の光と影を見る



秋になると
静かになった
平和公園を訪れる

自分の心を
おとなうように


出会った時
破壊と愚かさと痛ましさの
象徴であった建物は

なぜ、と繰り返し胸に問う痛みが
無意識の淵に沈み込むほど
何度も見上げ
見つめるうちに

少しずつ変わっていった


傷口をそのままに
洗いざらい
陽に照らされて
ただ、そこにある

傷というものは
時をかけていけば

まったく補修されず
むしろ露わになるよう
知恵をつくして
剥き出しにされて
いてさえも

いつか静けさと
美しさを
たたえはじめるのかもしれない


自分の心が
いつか世界と和解し始めるように

たとえ自分を
また再びあの日の記憶で
傷つけようとも

他者から見れば
その傷口は不思議にも尊く
どこか美しく

いつの日か
自分でさえ
そこに
諦めに似てはいても
確かにそれとは違う
ある景色を
見て取るようになるのだろう


過去によって
自分が作り上げられてきたのなら
あの日の痛みも
また私を醸成したのだと...


少し色づいた葉
木々にいだかれた
たくさんの慰霊碑

止まない風に吹かれて
今日もまた
私はどこかに
向かっている

流されるように
そしてまた
自分の意志を秘めた
一歩を
踏みしめて

弦楽四重奏カルテットのように
ひそやかな
平和を奏でる日まで


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 "四季折々の風"というと、慣用句的な表現なのだけれど、おりづるタワー展望フロアひろしまの丘に吹くのはまさにそれ。一年中、風が吹き抜ける。

 スタッフの女性曰く、秋の風の心地よさを身に染みて感じるとのこと。夏の風はどこまでも暑く、冬の風は冷たく切りつける。

「折りづるの子の像は、ここから見えますか」
 訊ねたところ、木が茂っていて、平和の鐘も原爆の子の像千羽鶴の塔も見えないという。見えるのは、資料館、慰霊碑原爆死没者慰霊碑、平和の灯、時計塔。

 脚の長いテーブルにつくと、空から大地までがよく見渡せる。

 頬杖をつき、ぼんやりと景色を見る静かな秋の日。たくさんの慰霊碑も、長い年月をかけて育った小さな森の、木々の梢にいだかれる。隙間から降り注ぐ秋の陽は、それでも優しい。


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