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ボードレール『バルコニー』Le Balcon|訳してみました

『バルコニー』


想い出の母なる泉、恋人のなかの恋人よ
君こそは歓びのすべて、我が忠誠のすべて
あの甘やかな抱擁を思い起こさないだろうか
暖炉辺だんろべの安らぎ、ゆうゆうなの魅惑を
想い出の母なる泉、恋人のなかの恋人よ!


石炭の熾火おきびで彩られた黄昏たそがれ
薔薇のヴェールにけむる バルコニーでの夕まぐれ
君の胸はなんと柔らかく、その心臓はなんと心地よかったことか!
我らは不滅のことどもについてよく語り合った
石炭の熾火で彩られた黄昏に


微熱を宿し暮れ残るの見事さよ!
天空の深き広がりよ、心のあらがい難さよ!
君の上に身をかがめるとき、崇拝さる者らの女王よ
君の血の香気こうきを嗅げる気さえした
微熱を宿し暮れ残る陽の見事さよ!


夜のとばりが厚く我らを押し包むとき
我がまなこは暗闇の中 なお君の瞳を射当てる
そして君の息を飲み干す、おお、この甘美、毒薬よ!
それから君の足は我が手に巣ごもり、眠りにおちてゆく
夜の帳が厚く我らを押し包むときに


我は知る、至福なる瞬間ときを呼び覚ますすべ
君の膝に甘えかかったあの日々を生き直す
恋にうれう君の美しさを探し求めて何になろうか
そのうつくしき肌身とくも柔和なる心をよそにして
我は知る、至福なる瞬間を呼び覚ます術を!


誓いの言葉よ、甘い香りよ、終わりなきくちづけよ
それらははかりの及ばぬ深淵しんえんからよみがえるだろう
深い水底で身を浄めたのち
太陽が若やぎ、天空へとみずから登るが如く
──おお、誓いの言葉よ、甘い香りよ、終わりなきくちづけよ!





🇫🇷 フランス語の原詩


Le Balcon

Mère des souvenirs, maîtresse des maîtresses,
Ô toi, tous mes plaisirs! ô toi, tous mes devoirs!
Tu te rappelleras la beauté des caresses,
La douceur du foyer et le charme des soirs,
Mère des souvenirs, maîtresse des maîtresses!

Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon,
Et les soirs au balcon, voilés de vapeurs roses.
Que ton sein m'était doux! que ton cœur m'était bon!
Nous avons dit souvent d'impérissables choses
Les soirs illuminés par l'ardeur du charbon.

Que les soleils sont beaux dans les chaudes soirées!
Que l'espace est profond! que le cœur est puissant!
En me penchant vers toi, reine des adorées,
Je croyais respirer le parfum de ton sang.
Que les soleils sont beaux dans les chaudes soirées!

La nuit s'épaississait ainsi qu'une cloison,
Et mes yeux dans le noir devinaient tes prunelles,
Et je buvais ton souffle, ô douceur! ô poison!
Et tes pieds s'endormaient dans mes mains fraternelles.
La nuit s'épaississait ainsi qu'une cloison.

Je sais l'art d'évoquer les minutes heureuses,
Et revis mon passé blotti dans tes genoux.
Car à quoi bon chercher tes beautés langoureuses
Ailleurs qu'en ton cher corps et qu'en ton cœur si doux?
Je sais l'art d'évoquer les minutes heureuses!

Ces serments, ces parfums, ces baisers infinis,
Renaîtront-ils d'un gouffre interdit à nos sondes,
Comme montent au ciel les soleils rajeunis
Après s'être lavés au fond des mers profondes?
— Ô serments! ô parfums! ô baisers infinis!

  — Charles Baudelaire


🇫🇷『悪の華』における語り手≠ボードレール


 『悪の華』における語り手(jeジュ/私)は、ボードレール自身ではなく「詩人」le Poèteです。
 読んでいるとついつい、ご本人の経験や感情を、そのまま書いたに違いない...と思ってしまう迫真ぶりなのですが、(創作がすべてそうであるように)あくまでも「架空の/象徴的な詩人」の生涯を綴った叙事詩的作品群です。

 その意図もあってか、ボードレールは、(他の詩人とは違って)詩の余白部分に、日付や誰にインスパイアされたのか、などの周辺情報を記さないことが多かったようです。普遍性を持たせるためでもあり、また身近な人に「売春」(この場合は、プライバシーと引き換えに世間の耳目じもくを集めること)させないため、という意図もあったそうです。
 もっとも、特に日付については、「書いておいてほしかった…(T_T)」というのが、大方おおかたの研究者のため息のもと、なのだそうですが…(◔‿◔)



🇫🇷 ジャンヌ・デュヴァル詩群と『バルコニー』


 ジャンヌ・デュヴァル詩群は、『悪の華』の初めの方にまとめて置かれています。(初版である1857年版だと16篇。のちの版で、数篇の削除や追加あり。)

 詩集の構成に細心の注意をはらい、並べる順序そのものに意味を持たせた詩人は、ボードレールがおそらく初めてだったようです。そのような意味で、「詩集」というものの新しいあり方を提示した詩人、とも言われています。(それまでは、出来上がった詩を一定数集めて出版するのが一般的。)
 詩の「見せ方」についてのこだわりは他にもあり、本文と余白とのバランス、1ページに複数の詩を載せ(混ぜ)たくない、といった哲学もお待ちだったようです。
 このあたりにも、彼一流のダンディズムが見えてくるように思います。ダンディズムというのは、結局のところ、自分のすること成すことすべてを我がものとして「所有」したい欲求で、"審美"というよりは"管理"(≒支配)欲求なのかなあ、という感じがします。(行きすぎると、ボードレールみたいに、自分で自分を苦しめることになりますが…。)


 さて。
 今回下調べのために読んだ論文(※)によると、ジャンヌ・デュヴァル詩群の構成から、以下の流れが読み取れるとのこと。簡略化したので、実際はもう少し複雑です。

 美の探求のようにして恋に落ちた「詩人」が、肉体の愛につながれ、その後、死によって象徴される精神的な愛へと深化し、その果てに、全人的な愛へと到達してゆく。

(参考)「『悪の華』ジャンヌ・ デュヴァル詩群 その構成と意義」(家柳速雄)
↑(※)

 この『バルコニー』は、ほぼ最後に位置する《総まとめ》的な詩なので、肉体や精神の愛とともに、情愛や友愛、ノスタルジーなど、穏やかな優しさも見られ、味わい深く感動的な詩となっています。

 剛毅ごうきな性格だったボードレールを(敢えてサン=テグジュペリ風にいうなら)「apprivoiserアプリヴォワゼ/飼い慣らす/手なずける」のは一苦労で、ジャンヌはずいぶんつらい思いもしたとは思いますが、それをすべてあがなうようなこの詩の素晴らしさに、魅了される以上に、安堵する私です。

 ここで、「嵐のような」とも評されるふたりの関係を垣間見るための傍証として、ボードレールの手紙の一節を引用しておきます。1852年3月27日付けの、母へ宛てた手紙です。(1821年生まれなので、30歳過ぎた頃ですね。)

「ジャンヌは僕の幸福に対する障害となっただけではありません──それは些細なことでしょう。僕だって自分の楽しみを犠牲にする方法を知っているし、すでに証明済みですから──詩人としての精神の向上にとっても障害となりました。 […]こう書いている今も、恥ずかしさと怒りで目に涙が浮かんでいます。率直に言って、手元に武器がないのは幸運でした。理性に従うことが不可能な状況を思い浮かべ、また、コンソールで彼女の頭を切り裂いた、あの恐ろしい夜のことを思い出します。」

« Jeanne est devenue un obstacle, non seulement à mon bonheur, ceci serait bien peu de chose, moi aussi je sais sacrifier mes plaisirs et je l’ai prouvé, mais encore au perfectionnement de mon esprit. […] J’ai des larmes de honte et de rage dans les yeux en t’écrivant ceci ; et en vérité je suis enchanté qu’il n’y ait aucune arme chez moi ; je pense aux cas où il m’est impossible d’obéir à la raison et à la terrible nuit où je lui ai ouvert la tête avec une console ».

lettre à sa mère, 27 mars 1852.


 ジャンヌにとって"不利"な証言のように映ったでしょうか? 私には、ボードレールらしい(身も蓋もない)率直さだとは思うものの、激情を懸命に抑えようとしているところに、却ってジャンヌへの痛々しいまでの想いが透けて見えるように思えるのです。

 ジャンヌはひとりの女性として心身ともに深く愛されたベスト・パートナーであり、まさに彼女の異名いみょうともなった「恋人のなかの恋人メトレス・デ・メトレス」「ミストレスのなかのミストレス」と呼ばれるにふさわしい女性だと思っています。

 ジャンヌ・デュヴァルについて、さらに知りたいと思われる方は、こちらの記事も覗いてみられるとよいかもしれません。「詩人に愛されるというのは、難しいものね…」と呟いたジャンヌさまの逸話も書いておきました。


 そういえば。フローベールの『ボヴァリー夫人』のモデルとなった複数の女性のなかに、ジャンヌ・デュヴァルも含まれていた、とする研究者もいます。
 そして、『ボヴァリー夫人』を風紀紊乱ふうきぶんらん罪に追い落とすことができなかった司法が、執念をこめて『悪の華』を有罪にした、との話も聞こえてきます。(執念深さつながりで、『レ・ミゼラブル』のジャヴェールを思い出します。)
 ボードレールも「エマ・ボヴァリーは男だ」と看破してフローベールを喜ばせたそうですし、同じ一時代の寵児として(この場合は、裁判沙汰のスキャンダルで)世間を騒がせた同族の士でもあったようですね。



🇫🇷 訳してみて思ったこと


 日本語で「ボードレール」や「悪の華」を検索すると、"よくある質問"として、「代表作は?」「有名な詩はなんですか?」などが出てきます。
 フランス語でBaudelaireやLes Fleurs du Mal 悪の華を検索すると、「最も美しい詩はなんですか?」のように、一歩踏み込んだ質問が見られます。
 その「最も美しい詩」は『恋人たちの死』でしたので、(知らないまま訳しちゃったよ…)と、少々残念な気持ちになりました。そこで、さらに調べてみると、『バルコニー』が素敵、とのこと。さっそく読んでみたところ、たしかに凄い! …ですし、英訳版を何篇か読んでもやっぱり凄い! ...のです。でも、不思議に思って手持ちの日本語訳をあたると、なんだか響いてこない気がする…。よし、やってみよう。ということで、取りかかりました。

 粗訳あらやくの時点では、「三文役者のクサい芝居」になってしまい、途方に暮れました。説明的&冗長になるんです、日本語だと。かつて印象に残らなかった理由がわかった気がします。

 ちなみに、これは私の個人的な印象ですが、翻訳ものには一定の限界(制約)があって、プロの人が訳すと、その制約がいっそう厳しいのかもしれません。同業の人々からの批評を気にしなければならないため、必要以上に「正統的」に訳してしまうのだろうと思います。なので、中原中也みたいな詩人さんが、自己流に訳したもののほうが、「詩らしい」日本語になります。でも、原義からかなり離れてしまったりもします。
 フランス語→英語であれば、もともと相当似ていますから、ある意味「単語を英語化」すれば済みます。実際、英訳を読み比べると、多くはその路線です。でも、日本語はまったく違う構造をしていますから、その手は使えません。あくまでも、意味を変えない範囲で響きをよくする、という作業になるわけです。

 そこで。「俳優さんが朗読劇をするなら」のシチュエーション設定とし、音数を切り詰めて凝縮していくことにしました。少しずつ単語を置き換え、句や節を入れ替えていきます。私がやるとどうしても文語調になります…本当は「今度こそ口語的に、20歳代が詠んだみずみずしい詩にするぞ」と目標を定めていたのですが…まあ、1850年頃の作として、日本ならまだ江戸時代ですものね・・・
 このように、手を尽くしてみたものの、自信があるかと言われれば「ない」ので、どうぞご笑納くださいませm(._.)m


 soir / soirée / nuit はすべて、宵や夜を指す言葉です。何度も使われ、次第に夜が更けていく経過を表しています。
 ただ、ボードレールほどの人で3つしか使わないということは、おそらくフランス語にはそこまで多くの「たそがれどき」を表す名詞がないのだろう、というのが私の仮説。(フランス語のことをあまり知らないので、あくまで推測です。)
 これに関しては日本語の方がはるかに多いので、おそらく、日本文化というのは、日が沈む頃から深更までの「薄明かりの解像度」がかなり高いのかもしれません。(イヌイットの言葉が17(?)種類もの「白」を持つように。) そういえば、斎藤環さんの文化論に「西洋の照明は点光源、日本の照明は面」というのがありました。たとえば障子しょうじから漏れてくるぼうっとした光、のような淡い階調グラデーションへの意識は、本来の西洋にはあまりない(?)そうですよ。
 もっとも、少ないとそれだけ明快で切れ味が良くなりますから、どちらが優れているということにはなりません。今回、せっかくなので「夕方」に関する日本語をいろいろ当てはめて遊んでみましたが、それが「正解」と思っているわけではないことを、付け加えておきます。(ていの良い言い訳です💦)

 そのほか工夫した点といえば。「半過去」の時制が多用されていたので、ニュアンスを訳出するために適宜日本語を追加しました。「半過去」というのは、感情の陰影を最も豊かに表す時制、なのだそうですよ(^^)




🇫🇷 朗読 YouTube 動画


 コメディ・フランセーズの舞台俳優さんによる朗読です。
 バンジャマン・ラヴェルヌというお名前。
 このくらいの演劇性が匙加減としていいと思い、選んでみました。当然かもしれないけれど、滑舌がいいですね。リスニングの練習になります(^^)/

 なお、調べてみたところ、モリエール、ラシーヌ、ユゴー、シェイクスピア、ゲーテ、イプセン、ブレヒト、シュニッツラー、エウリピデス、等々を演じておられるようです。
 演劇は、『オセロー』『ロミオとジュリエット』『アンナ・カレーニナ』くらいしか見たことがないので、また見に行きたくなってきました(◍•ᴗ•◍)✧*。


タイトル写真はpixabayより。いつか使おうとストックしている間に、クリエイター名がわからなくなりました🙏 「クレジット表記不要」に甘えさせていただきます🙇

・・・「毒薬」つながり、だったり(^^ゞ


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