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#08 頑張る理由について

「好き」を頑張る理由にすべきか否か。

この問いは、20代の間は学校や職場などでよく上がる話ではないだろうか。
最近は、「心」に訴えるメッセージで学生を惹きつける会社も多いし、「多様性」なんて言葉が蔓延る社会だからこそ、この話題は賛否両論いろんな場所で議論されていると思う。
私がこの問いに対して出した答えは「Yes」である。私は、「好き」を頑張る理由にすべきだと考えており、それは部活や勉強、仕事など全てにおいて通じるという考えだ。

では、なぜそう考えるのか。
それは、私の"原動力"が「好き」という感情だからだ。
ん?そんなのお前の自論じゃねえか?と思った方、たくさんいると思います。はい、そうです。これは完全に自論です。全ての方に当てはまる答えだとは思っていません。
まず、前提として伝えたいのは、"頑張る理由は人それぞれ”であるということ。「家族のため」が頑張る理由の人もいれば、「推しに会うため」が頑張る理由の人もいるだろう。そう、頑張る理由って、その人の価値観や人生背景によって全然変わってくる。そして、人は頑張れている以上、「頑張る理由」は必ず存在する。もしそこに理由がないのであれば、無理をしすぎて感情が麻痺してしまっている証拠だと私は思う。

自分を見失うまで働いて気づいたこと。

「好きなことを仕事にするな」って言葉を、よく耳にしないだろうか。私も就活生の時、先輩社会人の皆様から嫌というほど聞いた。当時は純粋な学生だったので、「やっぱり好きを仕事にできるほど社会って甘くないよな〜」と思いました。しかし私は、社会人になって、死にそうになりながら働いて自分なり次の考えに辿りついた。

「好きじゃないことを仕事にできるほど、社会って甘くないよな。」

そう、私は好きなことで仕事を選ばなかった結果、好きなことを仕事にするのは難しいけど、好きじゃないことで仕事をすることはもっと難しいってことに気づいた。もちろんね、泥臭い下積み時代とか、やりたくない仕事をやる期間は必要だと思う。でも、それって、別に好きなことでも好きじゃないことでもどっちみちやんないといけないことなんだ。だからこそ、「好きなことが嫌いになってしまいかねないから、好きを仕事にするのは良くない」と考える人は一定いる。でもそれは、あくまで"苦しい"の対象が何なのかによって変わってくる。私は、「自分が本当にやりたくないことで頑張ることが"苦しい"」。なぜなら、本当にやりたいことがあるから。
この答えって「自分のやりたいことの本気度」によって変わるんだ。仕事はあくまで「稼ぐ手段」であって、休日に自分のやりたいことがやれればそれでいいのか。自分のやりたいことで、他人に影響を与えたかったり、世に新しいものをリリースしたいのか。

ここまで、感情論的に話してしまったが、最後にこれを考えた上で「自分は好きを仕事にすべきかどうか」を明確にするための(私の推し直伝の)フレームワークをお伝えする。
①自分の得意なこと
②自分の好きなこと
③自分が求められていること

この3つの交わっている要素を仕事にすること。
これは、職人気質なところがあったり、確固たる信念がある人にはおすすめの考え方だ。

「好き」を仕事にするか悩んでいる人へ

私は、迷いが生じた時にいつも頭に思い浮かべる考え方がある。
それは、「プロ野球選手は、好きでもない野球を我慢してやっているのか?」という考えだ。不器用な私は、我慢して自分が理解するのが難しいことで頑張ったり、苦手なことで頑張り続けることはできない。他に得意なことや熱中したいことがあるのであれば、そっちの道にチャレンジしてみるべきだと思う。少なくとも、「仕事が楽しい」と思えていないのであれば、考えるべきタイミングに来ていると思う。
「今の仕事でも課題が山積みなんだから、それは一生つきまとうと思うよ」とか、「やりたいことでお金稼ぐってどういうロジックでつながってんの?」とか言う、ドリームキラーはあなたの側にたくさんいると思う。
でも、「好き」という気持ちや、心からその仕事を「楽しめる」ことに勝るものはないんです。

「これを知る者はこれを好む者に如かず。これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。」

『論語』

って孔子先生もおっしゃってますけど?って、
心の中で思ってれば大丈夫です^^


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