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自分以外は皆「一般人」

私は最近、「一般人」という言葉が不思議でしょうがない。一番良く耳にするのはメディアなどによる有名人・芸能人と対の意味で使われる「一般人」だ。この使われ方が世間では大半を占めている、または唯一の使われ方だとつい最近まで思っていた。

ところが先日、ある医師が話をしているのを聞いて、「一般人」の使われ方の法則が、一気に明確になった気がした。
彼は治療用ベッドが不足していたコロナ禍のピーク時に感染し、医療関係者のため治療を優先された話をした。それ自体は特別何も思わない。しかし、彼は知り合いのモデルの女性が同じ時期に感染し、なかなか治療を受けられなかったことを話した後、「やっぱり一般人はあの時大変だったみたいだ」と付け加えた。
なるほど、メディア側から見ればモデルの彼女ではなく、医師の彼の方が「一般人」だが、医療関係者の彼の側から見れば、モデルの彼女が「一般人」となる事に気がついた。
今更だが、一般人の意味を調べると、「あることに特別関係が無い人」となっている。そういった意味では、この使い方は当たり前で正しい。自分の業界に関係のない人は「一般人」であり、そして皆がお互いを「一般人」と認識し合っているのだ。乱暴な言い方をすれば「自分以外はただの人。」
自分の意識・考え方は自分中心であるのは当たり前のこと。それに違和感を感じる自分は、俯瞰でしかものが見られず、のらりくらりと自分の人生なのに自分が主人公になりきれない拗らせ人間だなと改めて思う。
関連して、CAの友人に「ただのOL」と悪気なく言われた話を思い出したが、それはまた別の機会に。



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