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2024年3月26日

2024/03/26 07:29

「表現」には数多くの方法がある。
絵、文章、音楽、料理、ダンス、写真。
私は主に写真と文章を用いて表現をする。
だがこれらは作品性や技術性が求められる、と思われている。
「表現」とはもっと身近で生活の中に、もっと言うなら生きる行為そのものに密接に関係している。
嬉しいことがあったら表情が綻ぶことも、嫌なことがあったらドアを力強く閉めることも、悲しいことがあったら下を向いてしまうことも立派な表現だ。

だが時としてこれらの行為、とくに嫌なことがあったり悲しいことがあった時にする表現は疎まれてしまうことがある。
今はもうしないが、昔はよく物に当たっていた。破壊した物は数えきれず壊れてしまった人間関係もそれなりに多い。感情の往復で生み出される表現だと冷静な状況であれば説明できるし理解してもらえると思うが、これが詭弁だと言うことも理解ができる。

自然は特に豊かな表現をしてくれる。
ここ数日雨が降り続いているが、一瞬たりとも同じ雨はない。
風に影響されて斜めに降ったり降り方の強弱も常に一定ではない。
昨晩は落雷と共に激しく降っていた。何を表現したかったのか。

生命の危機を招く災いとなることもあれば、生命を生かす恵みともなる。
私たちは巨大な表現者の中で小さく大きく寸法を変えて生きている。

おはよう。よく眠れたかい。
雨が降るから気をつけて行ってらっしゃい。

そうそう、言葉も表現の手法だ。
私が一番好きな表現の手法だ。

2024/03/26 07:44

今日はこれでおしまい。

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