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Waive絶賛解散中!

現在、『解散中』という看板を掲げて活動しているバンドがあります。

それがWaiveです。

Waiveは2000年に結成されたヴィジュアル系バンドです。

当時、Rayを解散したばかりのGt.杉本善徳氏が所属していたKriesレーベルのイベントに出演が決定しており、その際にステージに立つ為に当時既にバンドから離れていたVo.田澤孝介氏に声を掛けたのが結成のキッカケでした。

この一回のステージだけという心づもりでお互いが共演したのですが、孝介氏がバンドへの意欲をもう一度甦らせた事によってWaiveが本格的な活動を開始します。

バンド名は辞書を見ていてパッと開いたページにあった単語であったそうです。

そこからもう一人のギター、貳方孝司氏を加える事になるのですが、貳方さんも当時MIRAGEというバンドを解散した所でした。

そんな中、田澤、杉本両氏によって説得が試みられるものの色良い返事が貰えませんでした。

そこで、Waiveとして初の公式販売をする音源、『Spanner』をリリースする際に、MVを制作する事になるのですが、その現場に訳のわからないまま呼び出された貳方氏の髪を善徳氏が切り、MVに強引に出演させる事で無理矢理にバンドに加入させたという経緯があります。

ちなみにその曲がコレです。

Waiveのファンの中でも人気の高い楽曲です。

製作者の善徳氏によると、この曲は女の子のヴォーカルを立ててやろうと計画していた頃に作った曲であると言っております。

実はその音源も発売されていて、放送禁止用語なバンド名なんですが、

そのオリジナル楽曲のアウトロに使われたメロディでもあります。

このSpannerのMVは一サビ終わりまでしか製作されておらず、非常に限られたメディアでしか公開されなかった為、幻のMVともファンの間では言われております。

モノクロノームで仕上げられた映像はそれからのWaiveというバンドからはかけ離れたイメージです。

そこから音源のリリースとミニアルバムをリリース、それと同時にその年の11月29日に初のワンマンライブを行います。

一年前の11月29日というのは杉本氏が前のバンドの解散ライブを行った日でもありました。

それをキッカケに毎年Waiveは11月29日にずっとライブを行い続けます。

人気に火が付いてから、年々この日のライブは特別なものになり、特別な趣向を用いた演出があったりしました。

そんなに真剣に追いかけてはいないけれど、それでもこの日のライブだけは観に来るという方も多くなり、年々この日のライブのチケットは入手困難になって行きました。

会場も収容人数が400人弱と大きいと言える会場ではなかったのもあります。

この1回目の11月29日のライブが凄く意味合いが強かったのがこの時に配布されたCDでした。

ご存知『ガーリッシュマインド』です。

この一年間の活動でリリースしてきた音とは全く違う音であったと同時にWaiveというバンドの世界観の方向性を決定付けた楽曲であるとも言えます。

元々の構想は前述もした善徳氏が計画していた女性Vo.をフィーチャーしたバンドであったと思われます。

当時、善徳氏はJUDY AND MARYを愛聴されていた事もあり、歌詞にその影響が如実に現れています。

目線は男性なんですけれど、男性が歌って格好いい種類の歌詞ではないんですけれど、そのギャップが非常に面白い楽曲でもあります。

この曲が配布CDであるものの、ライブの定番曲になった事でWaiveのイメージが浸透して行く結果となります。

それまでになかったパンクでポップな楽曲を演奏しながらも、メロディアスなバラードもしっかり聴かせるというギャップもあるバンドとして認知されます。

しかし、知名度が最初は思うように上がらず、ライブの副題に『ソールドしなければ即解散』というような衝撃的なものもありました。

しかし、その度にWaiveは試練をクリアして大きくなっていきました。

その集大成のライブが2004年の日本青年館でのライブでした。

この時、善徳氏の口から

「このライブをインディーズラストライブにしようと思っている」

という発言があり、ファンの歓喜に包まれました。

この発言は、その時点で決定ではなかったものの話があってそれに乗ろうという関係者側への決意表明であった意味合いもあったのでしょう。

しかし、その話は決裂した事によって当然デビューアルバムが『MAJOR』であったと思われたアルバムは『INDIES2』としてリリースされます。

この時点から、Waiveのライブには不吉な副題がつくことが多くなります。

『サヨナラ』『いつか死ぬ』『迷いの森』

それまで明るいタイトルが付けられていたものが一見、ネガティヴなワードが使用されるようになります。

その度に、ライブ中のMCでその真意が語られるようにはなるのですが、そこに辿り着いたのはツアー中だったんでしょうと後になれば想像できます。

2005年のタイトルが『The CLIMAX.』

この公演の最終日で、観客が聞いた言葉が

「Waiveとしての活動を終了する事にしました」

でした。

その際に総決算として解散ライブとラストシングルとアルバムを制作する事がアナウンスされました。

そして、衝撃的だったのがその解散ライブのパンフレットで解散の理由を赤裸々に語った事でした。

ファンに説明する義務があると思われたという事で語られた事柄は本当に興味深いものでした。

これを強いたのが誰なのかは分からなかったのですが、これ読んだ後にどうやってライブ楽しめってなると思ってるんだ?と思った。

これはライブ後に知りたかったなというものばかりだった…

それでも2005年の渋谷AXの動員記録を作って解散します。

その後、メンバーは個々にソロ活動を開始。

それから5年後、突如再結成ライブが行われる事になります。

そのキッカケは当時Waiveの恩人とも言える方の死であったそうです。

しかし、この時も解散時のわだかまりというものが完全に払拭される事はなかったそうです。

ただ、当時と向き合う事のきっかけになる事によって皆が受け入れるということが叶ったのではないかと思います。

その後、本格的に活動を始める訳ではなく数年に一回のペースで活動を繰り返すバンドになったという訳です。

未だにWaiveあくまで解散中のバンドであると。

そんなWaiveが今年は色々と企てているそうなので、楽しみにしている。

というお話。

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