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0201 どこまでも広がる太平洋、四国最南端の地(追記)

雪の残るカルストを諦め、足摺岬へ。
泊まりは四万十川。

そんなわけで二日目の四国である。
12月末に高知で雪が降ったとニュースになった。
前夜の天気予報では、四国の山の方で少し雪雲があるように見えたのだが、自動車道で突っ切ってきた山には雪がなかったので、気にしていなかった。

完全に油断だった。
のんきに四国カルストを目指したわけだが、山の上の方へと行くに従い、影になっているところに雪がずいぶんと残っているのに気が付いた。
いやいや、日陰のところだけ…と思い込みたい気持ちで先に進んだが、とある場所で完全に道路に雪が残り、一部が凍っていたのである。
借りた車のタイヤは普通のもので、とても耐えられない。

情報が活かせなかったと相方氏と反省しつつ、足摺岬に行ってみようということで、四国の最南端を目指す。
高知県は、人が住みやすい、平らなところがとても少ない印象だ。走っていて山から山、海の際も海岸線というものが切り立っていて、なかなかの迫力である。
途中立ち寄った展望台では、相方氏が怖がってしまい、早々に展望台を辞す始末だ。緩やかに降りていくのではなく、切り立った崖が怖いという。
そんな場所にところどころ、別荘地なのか、家が建っている。

足摺岬についたのは、15時頃だった。
太平洋はどこまでも続き、この沖で遭難し、アメリカに行くこととなったジョン万次郎に思いを馳せる。万次郎のバイタリティは、坂本龍馬につながるものがあるなと海を眺めつつ、吉本昭の小説を再読したくなってきたのだった。
足摺岬には、お遍路さんに出会った。金剛福寺があり、そこに行くようだった。
我々のようななんちゃって観光客は、普通にお参りしただけで、18時までに宿に着くべく、足摺岬を後にして、四万十川を目指したのだった。

泊まったホテルは、四万十川を見下ろす城の近くにあり、部屋からの眺めがすばらしかった。
夕陽はすでに終わっていたが、月が雲から顔を出す光景がまた美しく、しかし、スマホのカメラではその微妙な輝きを写せなくて、見たままを画像として残す難しさをしみじみと感じたのだった。

夕飯に出たアユにかぶりつき、少し高知の日本酒をいただいて、ホカホカの白米に感動する。家では麦を入れていて、しかも冷凍で保存しているために、滅多に炊き立てを食べないものだから、柔らかくて甘い、温かいご飯はごちそうだ。
お米が帰る場所を宿の方に確認し、翌日お土産に買うこととする。

と、ここで初めて土佐弁を聞くこととなった。
旅行先の観光地では、地元の方々は少しイントネーションが違うものの、東京の言葉を使ってくれる。
お米を買いたい、ご飯のお米がおいしかったので、土産に買いたいのだが、どこで買えるかと、宿の方に聞いた時、その高校生くらいの男の子は、近くの物産館で買えると教えてくれた。
礼を言い、部屋へ戻るためエレベーターを待っていたところ、慌てたようにして彼が戻ってきて、「宿のお米は独自のブレンドになっていて、同じものは物産館にない」と教えてくれたのである。
その言葉が、がっつり高知の言葉になっていて、相方氏は初め聞き取れなかったそうだ。
先ほどまで、少しの訛りもなく話していた彼が、違うことを伝えてしまって慌てて訂正に来てくれたためだったのか分からない。私の方は、ドラマでよく聞く龍馬の言葉…と感動して、教えてくれた内容というより、言葉遣いに聞き入ってしまったのだった。

そんな一日が穏やかに終わった。
宿の周囲に人工物がないため、テレビもつけずに無音を楽しんだ。
ベランダから眺めても、ちらほらと人家の灯りが見えるだけだ。

東京は何かを吸い取られる、と思いながら夜景を眺め、月あかりを楽しみ、こういう場所、私を知らない遠いところでもう一度人生をリセットしたいものだとため息つきつつ、あっという間に寝てしまったのだった。

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