見出し画像

信じてはいけない。団塊世代の〇〇論

こんにちは〜😊青野です。

 今日は、私の母の話しをしようと思います。私の母は、昭和20年生まれ、貧しい寒村に5人兄妹の2番目として育ちました。

 母は中卒で、実家を離れて、地方の中核都市で、住み込みの従業員として雇われます。
故郷の親、兄弟のために、毎月仕送りをしていました。

 母は、本当は実家にいて親のそばにいたかった。と今も、嘆いています。(祖母はだいぶん前に他界)

 母は、苦労話をずっと、子どもにして、まあ、それは本当は自慢話でもあるのだけれど、私はずっと母が可哀想な人、そして、仕事は辛くて嫌なもの。と無意識にすり込まれてしまいました。

 母は、18才のころ、中学校の校章のバッチを、売る。と言う事をしていました。学校に行って、校長先生などと簡単な打ち合わせをして、

母がデザインをして売っていた。と言うのです。

 母は、絵心も無く、デザインの勉強もしたことがありません。なのに、しれっとデザインして売っていたと言うのです。

 「お母さん、何でもさせられたんだよね。ひどいよね。」と、本人は、言うのですが。今では考えられないですよね?

 母の話は、本当にとんでもなく面白くて、他にも、893の組長の姉さんから、売掛金を回収する話や、ギャング(港の車の積み込み)にならないか、?と誘われた話など、なぜ痩せっぽちの田舎娘にそんなことを、まわり大人はさせるのか、さっぱりわからないのですが、いつか、カラッと愉快な小説に出来たらいいな~と思ってます。

 で、私は何が言いたいと言うと、母のような団塊世代の根性論、努力論、苦労話をまともに信じてはいけない。と言うことです。確かに、母は、親兄妹から、離れて、頑張った。それは、間違いのない事実なのだけれど、ずっとネガティブな言葉のシャワーを浴びるのは、精神的に良くない。

 そして、戦後の物不足、人手不足、あらゆることが手探りで、母のような小娘になんでもやらせて許される大雑把な時代だったこと。

 そして、今、令和野時代は、文明が進みすぎて、スーパーの有人のレジは、セルフレジになり、正社員は激減し、マルチタスクが出来て当たり前、小さいミスも許さない、そんな息苦しい世の中になっていると言って良い。

 団塊世代のおじさん、おばさんは、確かに昭和という輝かしい高度成長時代を作ってきた。それは事実だけれど、どうか、自分のやってきた根性論を若い人に押し付けないで欲しい。

 歯磨き粉を舐めて空腹をしのいだ過去は、もう過去なのだ。今の若い人には、ちゃんと栄養のあるものを食べて、睡眠時間を確保し、不当な暴力や暴言、パワハラには断固として、拒絶しなければいけない。

 「真面目に働いている人は、いつか誰かが認めてくれる」
という、母の美徳理論も昭和の価値観と言って良いと思う。ホワイト企業ならそれでも正解なのかもしれないが、ブラック企業なら骨の髄まで吸われて、使い捨てだろう。

 嫌なものは嫌といい、人として尊重されないなら、交渉でできるなら、交渉して、逃げるなら逃げてもいい。

 若い人たちに、学生であれ、社会人であれ自分らしく、継続可能な生き方をして欲しい。生きるということを継続して欲しい。

 なんか、真面目な記事になってしまいました😅それでは、また〜😊

 

この記事が参加している募集

仕事について話そう

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?