Voyage to Wyuv-Ishk(伊島糸雨氏「魚の日」感想)

 またnote更新に間が開いてしまいました。それなりにネタはあったんですけど、まぁ何とも。でも今日はちゃんと書けるものを用意しております。
 
 といった感じでで、本日は2022/5/29にありました文フリ東京で買わせていただきました、磔刑さんの『解放区 第二号』収録の伊島糸雨先生(以下敬称略)「魚の日」の感想を書かせていただいたりします。ネタバレにはならないように注意はしてますが、その辺は何とも。先に断っておくと、伊島さんがBFC準決勝に出された「Lata-Echne」への感想も混ざってます。平にご容赦を。「Lata-Echne」はこっから読めるらしいですが、リンク貼ったらまずいようだったらそのうち消えます(https://note.com/p_and_w_books/n/n3a82e2fad2f9?magazine_key=m86857d256c82)。

 まず何が言いたいかと言うと、構成の良さが光っていたように感じます。冒頭を書いてしばらくあとに「Lata-Echne」を書かれたようですが、見事に論文パートが物語の流れに寄り添い、次の流れを生み出してます。違和感がないんですよね。まぁある程度合わせてはいるでしょうけど、何でも簡単に合うものではないですから、その辺は技量でしょうな。
 このような親和性はもしかしたら設定の説明的な描写の多さがもたらしてるのかなぁという勝手な仮説を立てていたりはします。随所で言葉の意味が語られており、そういった流れがある故に論文パートが差し込まれてもすっと入れる、つまり物語の催眠術を覚まさない効用が発揮されているのではないでしょうか。もちろん、それはただ構造がこうなっているだけでは起こらず、その文を紡ぐ地力がなければ不可能な技ではあるでしょう。
しかし、こう考えていくとこの手のものが割とSFと相性がいい理由が分かってきたような気もします。
 私も『異常論文』の「アブデエル記」を二次利用した小説を書こうかなと思いながらぼんやり寝たり起きたりしてたら、こんな傑作に出会ってしまって困ってます。二番煎じみたいになってしまうし。

 あとこれは、個人的な大好きポイントなんですが、註の使い方がとても好きですね。「Lata-Echne」への感想になってしまうんで申し訳ないんですが。
 まず、「註」という漢字のセレクトがいい。別に「注」でも意味としては変わらない(はず)です。当用漢字表の話はやめましょう。
 しかしながら、これをどちらにするかによって、雰囲気は結構変わってくると思ってます。そういう点では「註」は物語全体の、少し暗さのある空気感に非常に合ってるように感じますね「注」では少し柔らかさが出てしまう気がする。
 また註の中の言葉の温度感もすごくいいです。人が書いている感じはあるものの、やや冷たさがあるところが素敵です。註十四の、自らの経験なのに客観的な目線を感じさせるところなんか最高です。
 この辺りのセンスに関しては敬服するばかりです。あと、「修正なし」の影響は確かにかなり感じます。

 私は普段百合をほとんど、いや全くと言って良いほど読みません(BLなら読むんですけど)。一番最近読んだのは伊藤計劃の『ハーモニー』とかそういうレベルです。SFマガジンの百合特集は勢いで買ったけど、あんまり読んでないし……
 そんな感じの人間なので、百合を読むときに要求される"コード"を全く理解していないんですが、この作品を読んでいて、何とも言えないような二人の関係性の美しさを見せつけられました。ま、「美しさ」で片付けちゃいかんのでしょうけど、あいにくここに関しては本当に詳述出来ないので、ジャンルに不慣れな人間でも好き嫌いなく読めたというところに良さの眼目があるとお考え下さい。

 ともあれ、非常に良いものを読ませていただきました。今後皆さんが入手出来るかは知らないんですけど(かなり無責任な発言)、何とかして手に入れて読んでみると良いと思います。もう全部捌けてしまってたら……
 伊島先生におかれましては、今後とも傑作をどんどん執筆されてください。今度ぼたん鍋でも食べに行きましょう(こんなところで言うことじゃないと思うんだけど)。

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