純邦楽⑧

本当は別の記事を書く予定でしたが、差し替えます。

というのもよくよく考えてみると、そもそも「純邦楽」って何?、という疑問が沸いてきたからです。

以前に「純邦楽」と呼ばれている音楽は邦楽というものからJ-POPなど、現代の邦楽を除いた、「その他大勢」という書き方をしました。

でもこれも少しおかしいんですよね。

確かに日本の音楽であることには違いありません。

でもそこで使われている旋法にしても、ほぼ全部中国に昔からあるものなんですよね。

まあ日本でゼロから作り上げたものなんてほとんどないでしょうし、もっと言ってしまうと世界中にあるもののほとんどは別の「先行」したものから作られているのだろうし、目くじらを立てることもないのですが、「純」という言葉がやはり気になる。

何だかいかにも「これが本来の邦楽だ」、と言っているように聞こえるんですよね。

もっと言うとこの「純」が付いていることによって、その音楽が「日本の独自性」ということを強調しているような意識を感じるんですよ。

もしくはその呼び方によって「権威」的なものを持たせているのか。

大体自分自身が長唄を演奏していた頃に「これが「純邦楽」だ」なんてことを思ったことは一度もありません。

ただ曲を演奏していただけです。たぶん演奏者はこの事をあまり考えていないと思います。

別に「古邦楽」でもいいじゃないですか。新作もあまり出てこないんだし。

まあざっくりこういう括り方をされること自体に違和感を感じるのですが、やはり「純邦楽」という呼び方が気になってしょうがない。

この連載ももう始めてしまったし、広まっているが故に分かりやすい言い方ではあるのでタイトルはこのままで続けますが、やはり「なんだかなあ」、という意識は変わりません。

明日は昨日の続きについて書きたいと思います。





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