作曲・編曲120

昨日の記事を読み返して感じたのですが、メロだけではだめなのか、と思い直してみたんですよ。

良く考えるとそうでもないような気がします。

というのも、特に和声という概念(同時に異なった音が鳴っている、という意味ではなく)自体が、極めて最近の産物な訳で、それ以前の曲はメロとリズムだけだったんですよね。もちろんメロが単数という訳ではありませんが。

なぜこんなことを考えたのかというと、「Greensleeves」と「Scarborough Fair」のことを考えたからです。

今ではこの2曲、独自性がないとは言えないと思います。

直したものもありますが、今の旋法と違った旋法で書かれているから、独自の世界を作っている。

ただ、当時は普通の曲だったのかもしれません。ドリア旋法はこの当時、この地域では普通のものだったから。

今使われていない旋法だからこそ今は独自性がある、という話です。

でもそう考えると、この時代のこの地域にはもっと多くの作品があったはずで、何故この曲が残っているか、という疑問にぶつかるんですよ。

ただそこまで風呂敷を拡げるとややこしくなるので、今日はこの辺に触れるのはやめておきます。

確実に言えるのは、「独自性」だの「オリジナリティ」などというものは、歴史的文脈によって変わってしまうのではないか、ということです。

そう考えると、こういった概念自体が揺さぶられてしまう。

自分自身でもまだ考えがまとまっていないので、今日はここまでにしておきます。

ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。