昭和歌謡⑮

昨日書いた「昭和歌謡」という言葉の商業性に伴って良く使われている言葉があります。

あの頃の曲を表現する時。「エモい」という表現がされることが多いと感じています。

単に「語彙力不足」という見方もありますが、実は違っていると考えています。

確かに「エモい」んですよ(笑)。

前にも書きましたが、「昭和歌謡」は装飾過多です。やたら音数が多く、過剰に盛り上げます。

だから「感情過多」な作品になる。

いわゆる「わびさび」とは無縁な世界。

だから「エモい」し、感情過多。「わびさび」ではエモくはなりませんから。

個人的にはわざとらしい音楽としか聴こえませんが、ある意味「分かりやすい」音楽。

時代がこういう作品を求めているんでしょうね。

ある意味、目立つ手段としては適切なのかもしれません。日本の音楽はどうしてもそういう部分から抜け出せないところがある。

最近は音を削るミュージシャンも増えて来てはいますが、やはり主流は音数多め。

ただ今の音楽は無意味な派手さは無くなっているように感じます。

YOASOBIとか聴いても音数は多めだけれど、なんでもかんでもぶち込め、にはなっていない。

で「昭和歌謡」はせっかく人がいるんだから使わなければ損、的な感覚でブラスや弦がてんこ盛り。

でも多分本当に使わなきゃ損、的な感覚で使っているようにも思えます。

明日はその理由について考えてみたいと思います。


ほぼ書きたいことを書いていて、読んでいただけることも期待していませんが、もし波長が合えばサポートいただけると嬉しいです!。