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ピーナツの東京藝大物語-1

思えば、奴は産まれる時すでに固い意思を持っていた

それは月の綺麗な夜が明けるころ
陣痛が始まり朝になって産院へ。
助産婦さんが呼んでくれた先生を待たずに
スルスルーっと出てきたピーナツ。
3650gのジャンボベイビー

予定日がちょうどお盆の頃だった。
院長先生は夏休みでヨーロッパ旅行に行かれると言う。
僕がいない間はM病院(この辺りの総合病院)の先生がお産に来てくれるから心配はないけど
赤ちゃんも十分大きいし、
僕の出発前に促進剤を使って早めに出産してもいいですよ。

臨月の8月は暑い🫠
7月末まで3歳半の長男を保育園に通わせながらフルタイムで働いていた私
しかも二人めの腹肉の伸びはすこぶる良く
ぐんぐん伸びていたので
じゃ、そうします!
と深く考えずにお願いすることにした。

産休に入った翌週だったか、
先生が旅行に行く2週間前くらいからそれはスタートした。

朝、長男を保育園に送ったその足で歩いて産婦人科へ。
下から何やら錠剤のようなものを挿入される
薬が溶けてくると陣痛みたいな痛みがくるから
と言われたように記憶しているけど
実のところ、どんな説明を受けたのか
ほとんど覚えていない・・・・
とにかく痛かった・・・それだけ。

帰宅後しばらくすると
陣痛のような痛みが。
えええ〜こんな感じなの?
と思いつつ次第に強まる痛みに悶えているうちに
あっという間に保育園のお迎え時間。
産休に入ったというので午後3時までしか預かってくれなくなった。
(いや、午前中だったか?)
とにかく
そのころの公立保育園、マジで融通が効かなかった。
産後の大変な時も時短保育で
今考えると、うちなんて
夫婦共正社員で保育園代は一番高いコースだったんだから
もっと強気で言えばよかったのかもなあ

若かったし、意外と気弱だったからなあ〜
おっと
出産の話に戻ろう。

お迎えの時間になっても陣痛的痛みは止まず、
長男の手を引いて
家まで徒歩20分弱、しかも当時のウチは
小高い丘のてっぺんにあった・・・・
激しい痛みと格闘しながら
えっちらおっちらなんとか帰宅。
しばらく動けず、夜になると痛みが治る
というサイクルを3〜4日に1回のペースだったか
続けた。

普通は投薬後1〜2日で本物の陣痛に代わって
出産の運びとなるらしい

でも、ピーナツは頑として出てこなかった。
夏休み前の最後の検診日。
「珍しいなあ〜3回も陣痛が止まっちゃうこと
滅多にないのに」みたいなことを
先生がおっしゃって
あんだけ痛い思いをしたのに
「普通分娩だね。」
繰り返すけど
ほんと〜〜〜〜〜〜〜に痛かった。
陣痛と出産の痛みって忘れるというけれど
確かにそのものの痛みはよみがえってはこないけれど
でもめちゃくちゃ痛くて辛かったことだけは
忘れられない。

で、冒頭。
産院がお盆休みに入ったその日
つまりは予定日に
奴は生まれてきたのです。

先生はその日からヨーロッパ旅行へ。
予定日が決まってたんだから
なんで、それより早く出てこなくちゃ行けないの?
きっとそんな風にお腹の中で
思ってたんじゃなかろうかと
今になって思うわけです。

こうして
生まれる時からの
いや、生まれ持っての
あまのじゃくでガンコな性格の
ピーナツが誕生したのでした。


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