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【野田阪神駅】前編:松下幸之助氏の創業の地を巡る

久しぶりに町ぶらをしました。

野田阪神駅は大阪市の福島区になるのですが、梅田も近く阪神電車やJRも利用できる便利な駅です。

さらに物価も比較的安く、多くの銭湯も残っている大変に住みやすい下町感のある素敵な町です。

私のよく行く餃子の満州もありますので、かなりお気に入りの町の一つだと言えます。

駅の周辺には商店街もあり、今では絶滅寸前となったプラモデル屋さんも未だに存在しています。

お正月にもらったお年玉を握りしめて、兄とガンプラを買いに行った事を思い出します‥

プラモデル屋

駅から今日の目的地の一つである松下幸之助の創業の地を目指して歩きます。

その道中でまずはランチにしました。

魅力的なお店が数多くありますが、今日はお寿司の気分だったので、すし処 裕喜さんにしました。

すし処 裕喜

google mapでの評価は3.9でしたが、クチコミで「ホールスタッフの男性の態度が悪い」との書き込みがありました。

しかし偏見や先入観で物事を判断してはいけない、失敗はしてもいい、むしろ超高速で繰り返せ!と最近学習しました。

お店に入るとホールスタッフは大変に感じの良いお姉さんでした、店内も広く清潔感もあり何より奥行きがあって広々としています。

メニュー

すし定食850円にしました。

私の様に回転寿司ばかり行ってる人間からすれば、巻物を一つ食べればその店の大将の実力がわかります。

なんと注文して1分で出てきました!

すし定食(850円)

「うまい!」

なんという安さ、はやさ、うまさ、大将はただものでない事が一瞬で分かりました。

やはりクチコミはあくまでクチコミでした、自らの経験によってのみ物事を判断すべし。

私はそのように考えます。

お腹が満たされたので、創業の地を目指しました。

大開公園「道」の記念碑が建てられていました。

自分には自分に与えられた道がある。
天与の尊い道がある。
どんな道かは知らないが、ほかの人には歩めない。
自分だけしか歩めない、二度と歩めぬかけがえのないこの道。

道をひらくためには、まず歩まねばならぬ。
心を定め、懸命に歩まねばならぬ。
それがたとえ遠い道のように思えても、休まず歩む姿からは必ず新たな道がひらけてくる。
深い喜びも生まれてくる。

道をひらく
創業の地の由来

松下幸之助氏は23歳でこの大開の地に「松下電器器具製作所」を創業したそうです。

ここ大開の地に、松下幸之助氏の創業の家から本店や工場など4か所で門真市に移転するまで事業を行っていたそうです。

大開周辺地図

地図を見ながら4か所を回る事が可能になっています。

私は以前に一度来た事があったので、次の目的地のルート上にあった第二工場跡のみ見学しました。

第二工場跡

ここでランプの組み立てを行っていたそうですが、現在では創業の地を示す看板による掲示のみで別の町工場の建物となっています。

このあたり一帯は工場地帯でもあり、今でも町工場が沢山存在しています。

この大阪の下町に沢山の町工場があったにもかかわらず、松下電器はたった一代で世界の松下(現Panasonic)となった事を考えますと松下幸之助氏の手腕には良くも悪くも畏敬の念を禁じえません。

ダイエーの中内㓛氏と喧嘩したりするくらいです、きっと人には言えない事も山ほどあったのでしょうが、並みの精神力では乗り切る事ができない筈です。

「ほんまにすごいお人やで‥」

もう少し駄文にお付き合いください。

後編に続く


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