「個性」の種
スカーフを巻いて出かける、という小さな小さな夢を叶えました。わたしにとってはなかなか勇気のいることでした。
その日は誰とも約束せず、一人で出かけました。知り合いが誰もいなければ見た目の良し悪しは何も言われないし、似合わないかもしれないけど、とにかく自分が着たい服で外に出てみたかった。
出かけた先は、先日入りそこねた上野・東京文化会館。今回はリコーダーが主役の演奏会。コンサート会場は涼しいから、首にスカーフ巻いてるくらいが丁度いいでしょ。
お客さん、みんなオシャレしてたから多分、わたしも浮いてなかった…と思います。変わったデザインの襟元。ぶどう色のブラウス。細やかな柄のワンピース。それぞれ素敵だと思いました。
でも、家を出てから帰宅するまで、演奏に夢中になっている時以外はずっと緊張していた気がします。自分以外でスカーフまいてる人には、一人も出会わなかったから…
(なんでスカーフ巻いているの、自分ひとりだけなんだろ。やっぱ変かなあ…)
(まぁ単純に、暑いからかもしれないね!…という言い訳)
たとえ自分が心から「良い」と思う物事であっても、そう考えるのは実は自分だけなのかもしれない。好きだけど、あまり自信がないことに関しては、不安になって堂々としていられないし、人にも勧めにくい。
スカーフを巻くのも、リコーダーばっかり出てくる演奏会が楽しくて仕方がないと思うのも、バッハの時代よりもっと古い、中世の音楽の良さに気がついて、ますます好きになっていくのも…
「自分の趣味が周りと違う気がする」と思うときは、こっそりと一人で楽しむことが多いのですが、もしかしてこの感覚こそが「個性」の種?もっとオープンにできたなら、それってもしかして「個性を発揮してる」状態?
---
ゆく先々で「個性」に刺激された8月でした。それは旅先の風景だったり、夏フェスのアーティストだったり、美術展の作品や、喫茶店の空気、読んだ本など、本当にいろいろ。それらに触れるたび、わたしは「個性」のことを思いました。わたしもそういう個性ってあるのかな。まあ、あるよね。人はそれぞれ違うのだから当然です。
ただ、世に出て多くの人に届く創作物というのは、それを創った人の人間性がぎゅっと凝縮された「エッセンス」であるように思います。なんか…濃い。濃いというのも、食べ物でいうと「辛い・すっぱい・しょっぱい」といった味つけの刺激ではなくて、素材や、だしのうまみが濃い、みたいな。
わたしもそういう「濃さ」を持てたらいいけど、そのためにはどうしたらいいのか?と考えたときに、思いついたのはやっぱり「自分と向き合うこと」くらいしかありませんでした。自分の持っている感覚に素直になること。自分のもっているものが、どういう方法ならうまく伝わるのか考えること。その表現技法を磨くこと。
ちなみにわたしの場合は、自分が何が好きかということは大体わかっているけど、それを表に出すことに抵抗があります。勇気がちょっと足りない。もう少し、自分の持っているものを、うまく表に出す力をつけたいと思うようになりました。これがわたしのこの夏の収穫です。