3 試練の始まり / はるか

 妊娠6週目のある朝、急につわりは始まった。少しだるく気持ち悪い程度のそれに、私は妊娠の貴い洗礼を受けたような気すらしていた。今思えば本当に甘い、いや甘すぎる妊娠期だった。
結局妊娠7ヶ月いっぱいまで続くことになったつわりは、私の26年の人生を持ってしても筆舌に尽くしがたい過酷な経験となってしまったのだから。仕事は愚か、家事も身の回りのことすらままならない5ヶ月間となってしまったのだ。
その間文句一つ言わず全ての家事を引き受け、少しでも私の食べられそうなものをスーパーに探しに行ってくれた夫には感謝しかない。
 6週から12週目ぐらいまでは吐き気や倦怠感にさいなまれながら、それでもどうにか飲み物に加えうどん屋スープ、ゼリーなどを少しずつ1日に6から8回に分けて食べることができた。基本布団で寝て過ごし、たまにソファーに移動し吐くためにトイレに立つ。それだけに日々を費やした。
2週間に1度のレディースクリニックへの通院は厳しくなっていった。最初は夫に付き添われバスでどうにか移動していたが、最後にはタクシーで通院することがやっととなった。
クリニックで処方された錠剤の吐き気止めは多少効いた気もするが、粉末状の漢方薬はまるで通用しなかった。やたら量の多い粉と、甘いような苦いような独特な風味は余計に吐き気を増長させた。
この時私ができたことは、「つわり いつ終わる」、「つわり 楽になる方法」と同じワードをネットに打ち込む検索魔になることぐらいだった。
調べていると、「一般的に12週からつわりは楽になる」という記述をよく見かけた。その都合の良い12週神話を私は信じ、日々生きた。身体が楽になる明日に希望を抱き、きらきらとしたマタニティーライフ?や仕事への復帰などを夢見ていたのだ。
 希望の12週を過ぎても、つわりは治るどころか悪化の一途をたどった。信じてきた12週神話がガラガラと崩壊した瞬間である。
1日にウィダーインゼリー半分と小さなクロワッサン3個を食べることで精一杯となった。もちろんそれだけでは足りず、体力の急激な衰えも感じ始めた。そのため水分と栄養補給の点滴をしてもらいに病院へも通った。
しかしそんな努力もむなしく、吐く量や回数は日に日に増えていった。吐くものなんてもうないはずなのに、何が私の体内からこんなに出ているのだろう、このまま私は干しイモみたいに干からびてしまうのだろうか?と思っていた。
 12週からはバスで20分だったクリニックから、出産予定の自宅から徒歩5分の総合病院に変わった。だが精根尽き果てた私にとって、好立地といえる徒歩5分も厳しかった。
13週の中盤からは吐き気に加え、胃の痙攣からくる耐え難い胃痛にも襲われた。何よりもきついのは眠れなかったことだ。
どの体制でも吐き気が沸き上がり、胃は縮むように痛く常にぼんやりしていた。外を走る終電の音を見送り、始発を迎える日々が続いた。
1日に数時間程度気を失うように眠れる時もあり、それがこの期間の幸せだった。もはや自分が健康だった状態を思い出せなくなっていた。普通に大好きなハンバーガーをがぶりとかじり、意気揚々と旅行に行っていた過去の自分の体の状態を信じられなくなっていた。
夫や友人に
「大丈夫?」
「しんどい?」
と優しい言葉をかけられる度に、ただただ
「早く元気になりたい。」
とつぶやくことしかできなかった。
(続く)

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