11 決戦の幕開け / はるか

 三日間かかって2728グラムの元気な女の子は生まれた。
私は無痛分娩を選んだ。普通でいくか無痛でいくか、出産方法決定期限の34週まで悩んだ。
夫は麻酔が怖いと無痛分娩に消極的だった。しかし私は痛みに恐ろしく弱いこと、これまでの妊娠生活で体力を使い果たした気がしていたこと、産後の回復が早いといわれることから無痛分娩を希望した。夫には
「生むのは私だよ。変わってくれないでしょ」
と言って納得はしていないかもしれないが、無痛分娩を受け入れてもらった。
私のかかっていた産科では、計画無痛分娩を受け付けていた。
 暑さの残る9月中旬、私は夫と歩いて病院に向かった。下着や子供の服、哺乳瓶などの入った大きな入院バッグを夫が背負ってくれた。
(退院する日にはもっと秋に近づいているのだろうか?次この道を歩く時にはもう一人増えているのかな?元気に生まれてくるといいな。)
とたくさんの思いが浮かんだ。
病院に着くと夫から荷物を受け取り、私は病室に向かった。
 入院一日目の午前はあわただしく過ぎた。着替えた後分娩監視装置で子供の心拍を確認した。それから子宮口を開くバルーンを入れ、腰に麻酔を入れるカテーテルを付けた。
午後からは軽い病院食を食べ、促進剤の点滴が始まった。2時間すると、少しずつお腹が痛くなり始めた。重めな生理痛ぐらいで、
「まだいける、これなら今日は頑張れる。」
とつぶやきながら時が経つのを待った。
ところが数十分後、身体の向きを変えても深呼吸をしても耐え難い痛みに変わった。
「我慢できない痛みになったら呼んでくださいね。」
という看護師さんの声を思い出し、渾身の力を込めナースコールを押した。
まだ子宮口の開きは2センチ、陣痛も弱かったが、早速麻酔を入れてもらった。私は陣痛初級編にすらノックアウトさせられてしまった。
麻酔を入れるとうそのように痛みは引き、ぼんやりと夜まで過ごした。結局17時にタイムアウトとなり、促進剤や麻酔は中止し、次の日に持ち越しとなった。
夜ご飯の病院食は、麻酔のせいか台風の吹き返しのような残りのつわりのせいか食べても吐いてしまった。夜中にはそんなこともあろうかと買っておいたカロリーメイトを食べ、栄養を補給した。
 二日目も前日と同じく促進剤と麻酔を入れてもらい過ごした。その日の収穫は子宮口の開きが4センチになったことぐらいだった。
 促進剤と麻酔の切れた夜は夫に経過報告の電話をしたり、スマホでニュースを見たりと比較的穏やかに過ごした。
(こんなに促進剤や麻酔を使って大丈夫だろうか?)
と心配になった。
しかしお腹の子供は相変わらずぼこぼこ蹴ったりぐにゅぐにゅ体の向きを変えたりと、なんだか楽しそうに過ごしており安心した。
 三日目の朝が来ると、回診に来た先生が
「これ以上は赤ちゃんにもお母さんにも苦しくなるので、今日生めるように持っていきましょう。」
と気合の入った口調で言われた。私は
(じゃあ一日目からそうしてよー!)
と内心思った。先生の言葉は命がけのラストマッチ開始を告げるゴングのように聴こえた。
(続く)

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