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もものかおりにつつまれたなら

 ももが好きだ。いろ、かたち、かおり、口に含んだときのうっとりするようなとろける舌ざわり。ももが嫌いな人なんてあたしの人生で出会ったことなんて多分いないんじゃないかな。そのくらいみんなきっとももが好き。

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 この季節になるとスーパーの店頭にまあまあの値段でももが並び始める。出始めの頃はふたつで千円近い価格とかあたりまえ。「待ってました!」と、ももが大好きなあたしは今でこそ躊躇なく買っちゃうけれど、ひとり暮らしの頃はそんな高価な果物を買うという行為に「贅沢はよくない」というよくわからない正義感とお財布の中身の現実でなかなか手を出せなかった。今思えば、たまには買って食べてもバチは当たらなかったかな〜って思う。でもあのときのあたしはその高級な果物であるももを買って食べるようなステージにいなかったのだろう。
 店頭のふくよかな白桃を見てそんなことを考えていたらうっすらと子どもの頃を思い出した。

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 小さい頃からももが好きだった。どのくらい好きかってお昼ごはん代わりのプロテインのフレーバーですらピーチ味であるほど。たいていかんづめのシロップたっぷりのあんまい黄桃だったけど、ほんとうにときどき、ほんもののももを食べるときがあった。 
 おしりみたいなカタチをしてて、うすピンク色のまあるいもも。よくみると小さな短い毛がいっぱい生えてて、ほほを寄せるとチクチクした。
 早く早くと急かすあたしの上で母がくるんとむいてくれるそのまあるいもも。カットせずまあるいももそのままをいつもふきんにくるんで渡してくれた。むいた状態だとつるつるしてすぐに手からすべって飛んでいってしまうからだ。
 ふきんを少しめくってももの肌が見えたらそこにかぶりつく。じゅわ〜ともものジュースが吹き出してくる。と同時にあのたまらないもものかおりであたしのまわりはつつまれる。小さなあたしは食べ終わるまでももから口を絶対にはなさなかった。くるくると上手にまわしながら吸い付くように食べて、最後はふきんとけもけもの種だけ残った。母は今でもそのあたしの姿を今ここで見ているかのように笑って話してくれる。

 かんづめのももはほんとうにたくさん食べたなぁ。今でもたまに買って食べたい気持ちになる。ほんもののももほどの興奮はなかったけど、それでもあの黄色くてつるんとしててちょっとかたい、シロップたっぷりのあんまい黄桃。こどものあたしにはちょっと豪華なおやつ。ほんとに美味しかった。

 あれから何年も経った今。現代のもも事情はあの頃と全く違う。種類もたくさんあるし、食べ方もデザートにパスタにとさまざま。平べったくて甘みが強いらしい不老不死になる桃で有名な蟠桃はまだ食べたことがない。桃モッツァレラなるものを発明した人はどんな人なのかな。カットしたももとちぎれたモッツァレラのかたち、かおりのよいEXVオリーブオイルにガリッと挽いたブラックペッパー。
 あぁ、思い出しただけで、早く、早くももがまた食べたい。

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 今日もスタバではたくさんの人が並んでる。にこにこしながら今旬のピーチフラペチーノを受け取っている学生らしき女の子。現代を生きる彼女たちの持つももの記憶はどんな記憶なんだろう?

 ふきんで巻かれたももを両手でしっかり持った幼いあたしの、あまくてたまらないもものかおりにつつまれていたあのときの記憶は、きっとずっとあたしのなかにあざやかなまま残り続ける。たまにこうして思い出そう。机の引き出しの宝箱をどきどきしながら笑顔で開けるように。



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