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今年一年ありがとうございました!最近のこと、エッセイ集出版の進捗など。

1週間以上、記事の更新ができなかった。
今日は大晦日。2023年の終わりの日なので、何がなんでも書いておこうと思う。
とりとめのない記事になるかもしれないが、ご容赦を。

最近のこと

忘年会は昔と比べて減ったし、体調のことがあるから自分からは基本的に誘わないのだが、どうしても会いたい人がいる。
それで12月に入ってからは、毎週のように誰かと会って食事をしていた。

高校時代の親友と3人で京都の名店「草喰なかひがし」でランチ、中学時代の親友と2人でイタリアンのランチ、別の中学時代の親友と3人で飲み会、仕事仲間(編集デスクとカメラマン)と3人で飲み会、また別の中学時代の親友と3人で飲み会。
1ヶ月のうちに7人の親友たちと会って食事やお酒を楽しみ、仕事仲間とも良い時間を過ごすことができた。

いつも人と会う日は気合を入れる。痛み止めを多めに飲んで挑む。家を出る直前までは寝ていて、ふらふらの状態で夫に車で駅まで送ってもらったとしても、なぜか30年以上付き合ってきた大好きな親友たちの顔を見ると、体の底から元気が湧いてくるのだ。勝手に笑顔になるし、笑っていると脳が勘違いするのか、自分がすごく元気な人のような気がしてくる。

お酒も少しは飲んだ。やはりお酒の場というのは楽しい。
だけど、4時間くらい経つと少しずつ「友達の魔法」もとけてきて、痛みが出たり気分が悪くなったりする。
まあ、4、5時間も過ごせば満足しているので、「ちょっとしんどくなってきたからそろそろ帰るね」と打ち明ける。もちろん誰も引き留めないし、心配しながら見送ってくれる。
「今日は調子良さそうでよかった」
「思ったより元気そうだった」
そう言ってくれるので、よかったと思うが、これからやってくる反動を思うと気が重い。

やっぱり人と会って弾けたあと、その晩から翌日くらいはダウンする。睡眠導入剤を飲んで早寝するが、なかなかすっきりはしない。
それでも楽しい時間と天秤にかけてみれば、これくらいのしんどさはどうってことないな、と自分に言い聞かせる。

今年の12月は、人と会うたびに「これが最後かもしれないな」と思った。
来年は同じように過ごせるかどうか保証はない。ポロっとそう言ってしまい、泣かせてしまった人もいる。口にすべきではなかったと後悔。

でも、会うことはできると思う。きっとみんな私が寝たきりになったら、家に来て、私の横でいつものようにおしゃべりを繰り広げてくれるだろう。会えなくなるわけではないのだ。そう思ったら安心した。
いや、来年の保証はないけれど、「来年も同じように皆と楽しい時間を過ごすんだ」と強い気持ちでいなければいけないと、自分を鼓舞する。

言霊ってあるから。
「これが最後かも」と言ってしまったら、本当に最後になる。
「また来年も同じように会おうね」そう言わなければならなかった。来年も、再来年もずっと。

一緒にいたいと言ってくれる友達がいる。
私とまた一緒に仕事をしたいと言ってくれる仕事仲間がいる。
本当に感謝しかない。
2024年の12月31日、「今年もみんなと忘年会ができた」とここに書けることを信じている。

仕事のこと

そんなわけで、「人と会う」→「ダウン」→「復活」を繰り返している中でも年末までに終わらせなければならない仕事はあるわけで。
わずかな「復活」時間を仕事にあててしまうと、noteを書くまでたどり着かなかった。

仕事は年内に終わらせなければならないことは終わったが、改めて見直してみると、年明け早々に提出しなければならない原稿が4本もあることに気がついた。年末年始はゆっくりしようと思っていたが、少しは仕事もしなければならないようだ。

前回のnoteで昔のように集中して書いた原稿は、編集デスクから一切の修正なしで入稿までいった。
「山王さん(私)に取材していただいてよかったなと思える蔵でした。 すてきなお話でした。」
そんなうれしいコメント付きで、ノーチェックの原稿が戻って来た時はやはりガッツポーズ!
その後、取材先からの修正もほぼなしという快挙。
取材中から「書ける」と思っていたが、やっぱり良いものが書けた。今年最後の仕事が良い感じで終わったこと、そして「酒蔵萬流」10年目を記念する記事がこのような評価をいただけたことが本当にうれしかった。

エッセイ集のこと

もしかしたら、「あれはどうなったんだろう」と思っている人もいるかもしれないので、この件についても年が明ける前に書いておきたい。

以前、こんな記事を書いた。

思っていた以上の反響があり、「読みたい」「予約したい」「楽しみ!」といううれしいお声もいただき、恐縮している。
そして、あの時は「年内に出版」を目指してがんばると書いていたのだが、結果から言うと、それはまったく無理だった。

進捗を言うと、夫がいろんな出版社へ見積もりをとり、プロットを組み立ててくれているという状況。
ここからは私の仕事で、エッセイのテーマ決め、セレクト、校正などをしていかなければならないのだが、それが全然進んでいない。

いろいろ調べると、悩むことが増えてしまって。
ひと言で「自費出版」といっても、いろんな形があるし、出版後の流通もいろいろなやり方がある。さて、どうしたものかなと悩んでいる。

私は最初、学生時代に作っていたようなオフセット印刷の同人誌みたいなものをネットと身近な人への手売りにしようと思っていた。それならあまりお金もかからない。
でも、夫はちゃんと「書店でも売ろうと思えば売れる」もの、ハードカバーで、書籍コード(?)をつけて、一般の書籍と変わらないようなレベルのものを作ろうとしているらしいのだ。
もちろんお金はウン十万はかかる。全部売れたとしてもマイナスになることは間違いない。

本当に自分が書くものにそんなお金をかける価値があるんだろうか。
そこを自分に納得させるまでにまず時間がかかった。
そして、そんなにお金をかけるのであれば、もっと気合を入れて、恥ずかしくないような作品に仕上げなければならない。
「noteで書いていたお気に入りの記事をまとめました」ではなく、ちゃんとしたテーマをもったものにしたいと思うようになった。
それがまた難しい。悩む。

一応、「ここにお願いしよう」という出版社は見つけた。比較的安いし、いろいろ細かい要望にも対応してもらえそうなところだ。
見積もりと工程を出してもらったところ、印刷なんてすぐかと思っていたら、原稿を提出してから発行まで4ヶ月くらいはかかるようだ。
それで、どちらにしろ予定していた「年内発行」は無理だとわかったので、それならもう思い切ってしっかり時間をかけて良いものをつくり、「来年の目標」にしようと切り替えた。
(年内発行を楽しみにしてくれていた方がいらっしゃったら、ごめんなさい。でも、その分、期待を超えるようなものを作ります!)

お金はかかるけれど、27年もライターとして頑張ってきたのだ。そんな自分へのご褒美に、自分の書いてきたものを「カタチ」にして残すという贅沢をしてもいいんじゃないかなと、ようやくそう思えるようになった。
ありがたいことにスポンサー(夫)がいるので、甘えることにした。

本格的な自費出版となると、部数もそれなりに出さないと受け付けてもらえない。そこもまた悩みどころだが、とりあえず200部かなと思っている。
リアルな身近な人(友達や仕事仲間、親戚の類)だけでも100部くらいは売れるだろうし、あとはnoteで買いたいと言ってくれる人が10人くらい?
かなり在庫を抱えそうだが、それをさばくためにも「テーマ」を大事にしたいと思っている。
作家でも何でもない三流ライターの山王かおりとかいう人間が出したエッセイ本を、この世の誰が読みたいと思うのか。
でも、「読みたい」と思えるようなテーマがあれば、何人かの人には読んでもらえるかもしれない。

1つはやはりガンのことだ。でも、それを前面に打ち出した「闘病記」みたいなものにするつもりはない。
病気を抱えた人間が、毎日をどう豊かに生きるのか。どうやって日々奇跡を起こしていくのか。弱さも強さも伝えたい。
西加奈子さんのエッセイ集がお手本だ。(真似するつもりはないし、こんなレベルのものを書こうなんておこがましくて言うつもりもないが)
つまり、ガンの当事者や、まわりにガンの人がいる人だけではなく、そんな病気と関係がない人にも「生きる」ということについて何か伝わるものにしたいのだ。そういう視点での「お手本」。

もう1つはライターという仕事のこと。こちらも仕事の「ノウハウ本」みたいにする気はゼロ。文章の上手な書き方とか、取材のコツとか、営業の仕方とか、儲け方とか、そんなことを書くつもりはない。(まあ、書きたくても書けるようなノウハウがないというのが本当のところだが)
私が27年ライターをやってきて印象に残っている出来事や学んだこと、素晴らしい取材相手のこと、ライターという仕事の素晴らしさ、そういうことが伝わるようにしたい。
もし「ライターになりたいな」と思っている人がいたら、手に取ってもらえるように。そして、読んだ後、「どうしてもライターになりたい!」と気持ちを強めてもらえるように。

なーんてことをあれこれ考えていたら、今年が終わろうとしていた。
テーマを決めてまとめるのにはもう少し時間がかかりそうだ。
そして、それが終わってから出版社と相談しながら固めていって、印刷・発行までを考えると、来年の夏くらいが目標かなと思う。下手すると(私の体調による)、来年いっぱいかかるなんてこともあり得る。
でも、どうせお金をかけて、一生に一冊の記念本を作るのだから、それくらいかけてもいいのだと思う。
満足のいく一冊にしたい。
自分という人間が生きた証にしたい。
自分の生き様を「本」という形に残したい。
その気持ちは確かだから、大丈夫。必ず来年中には実現する。

「自信をもつ」って、たぶん人が思っているよりも、私にとっては大変なことなのだ。
自分に「本を書く」という価値があるのかどうか、お金をかけてもらう意味があるのかどうか、そんなことを考えていたら怖くなる。
でも、最近あることがあって、なんとかそれを乗り越えた。(それについては長くなるので割愛するが)

でも、なんかそういう「乗り越え」があって、「書くぞ!本を出すぞ!」と心が決まってみたら、「なーんだ、結局ここに戻って来たのか」とも思う。
私は作家になりたかった。死ぬまでに1冊でいいから本を出したかった。それは学生時代からの夢だった。(※ここでの「作家」は小説家という意味ではなく、自分で書きたいものを書く人のこと)
自分の気持ちをごまかして、ライターになったことでなんとなく自分を満足させて、遠回り遠回りしてきたけれど、結局やりたいことってこれだった。これしかなかった。「なんや、やっぱりこれかい!」と自分にツッコんだ。

商業ライターは、来年からほぼ廃業しようと思っている。
仕事をゼロにすることはないけれど、不思議なもので、「商業ライターはもういいや」と思った瞬間から、世界がそっちに向かって動き出した。新しい仕事がキャンセルになったり、長年やっていたプロジェクトが終わったり、私がやりたくても仕事ができないように動き始めている。
でも、ずっと私はそうだった。
「こうしたい」と本気で思えば、宇宙はいつも味方をしてくれた。
あり得ない奇跡を何度も何度も起こしてきた。
「自分は運がいいな」と思っていたが、そうじゃなくて、自分の心が流れをつくっているのだと思う。少しスピリチュアルな話になってしまい、受け付けない人もいるかもしれないが、事実だから仕方がない。

来年のこと、そしてお礼

というわけで、来年の目標は「本の自費出版」。
商業ライターとしての仕事はゆる~くやっていき、少しでも書きたいものを書く時間を多くとっていく。

私がこんなふうに思えるようになったのは、やはりこのnoteの存在が大きいと思っている。
いつも「スキ」や「コメント」をくれる人たちがいたから、本も出してみようと思えたし、少しだけ自分に自信が持てるようになった。

「Kaoriさんの文章が好きです」
「Kaoriさんの文章を読むのが幸せです」
「Kaoriさんの文章をもっと読みたいです」
「Kaoriさんの文章をそばに置いておきたいから、本を出してほしいです」
「Kaoriさんのnoteに出会えてよかった」

嘘みたいだけど、こんなことをコメントしてくれる人が何人もいるのだ。
そんな言葉に出会うたびに、書いてきてよかったと思うし、「書いていていいんだ」と許しを得たような気持ちになる。

病気のことに関しても、「えいえいおー!応援隊」が結成され、たくさんの人がいつも応援し、励ましてくれている。
ヘンな言い方だけど、「見ず知らずの私に!」だ。
どんだけ優しいねん、noteの住人……。

不思議だけど、リアルでの親友たちというのは、私自身のことは好きでいてくれるけれど、なぜか私の書くものには興味を持ってくれていない人のほうが多くて。私の書くものをあまり読まない人がほとんど。
それは私にとって本当に淋しいことなのだ。一番読んでほしい人たちが読んでくれない。興味を持ってくれない。いつも淋しい。
なぜなら、「文章」にこそ、「本当の私」がいるからだ。会っている私も本当だけど、嘘ではないけれど、もっと私の芯に近いものが文章にある。それを知ってほしいし、理解してほしいと思う。
だから、この12月に会った時は「読んでね」と伝えた。来年もしつこく伝えていくつもりだ。「いつ死ぬかもしれんから」と、半分脅しのような文句も添えて。(←悪いやつ)

話がそれたが、noteのフォロワーさんたちには感謝しかない。
2023年もありがとうございました。
そして、今日もこんな長い文章を最後まで読んでくださって、本当にありがとうございました。(5600字を超えた!)

来年もどうぞよろしくお願いします。
皆様にとっても、良い一年になりますように、心からお祈りしています。

何度も言いますが、本当に本当にありがとうございました!
感謝。

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