【No9 アセスメント視点】


普段の生活の延長のような気がします。誰かが、何かほしいものができた時に、どうやったら手に入るか考えると思います。得意のリレーで1位を取った時に、ほしい物を買ってもらうこともあれば、勉強は得意ではないけど、なんとか得意と思い込むことで、それなりの点数を取ることで買ってもらうこともあると思います。

テスト勉強なんかで点数を取ることは、辛い状況や誘惑のある中で、勉強して達成するわけだから強みだと思うんです。何を持って強みなのか?ここをどう考えるかでもアセスメントは変わっていくと思います。

あとは、このような強みは、何かそこまで実は強みではないと思うこともあります。例えば、勉強なら、友人と遊ぶ、友人に優しくする。一緒に勉強する。わからない部分は友人に質問する。自身が勉強でしんどい時も、友人の勉強に関するお願いを聞く。家ではお手伝いをする。

僕は、この背景というか、その人が自分の意思で行動して考えて、悩んで、優しくして、そういう動きの見える時間が強みだと思います。

なぜなら、自己決定や方向性も希望や願望も、そういう一連のことがわかはなければ、決めていけないからです。

そういうところを見るように訓練すれば、アセスメントはできるのではないかと思います。

ある本に書かれていました。例えば、家族介護なんかは、夫婦仲良く暮らしているから、その生活が成り立っているかと言えば違います。表面からは見えないです。夫が介護が必要で妻が介護者ならば、どれくらいの介護力があるのか理解しなければならないと思います。また、家の、お風呂掃除や電球交換、エアコン掃除は誰が担っていたのか?また、それは現在はどうしているのか?を明らかにしないといけないと思います。

僕は、この想像力は確かにかけていた。その実践力をつけるには、情報を統合することのように思う。周りの親戚や家族からの話はきちんと頭に入れておく。そうしないと高齢者の理解はできない。その上で、高齢者の気持ちは想像して理解しつつも、気持ちは日々変わることを頭に入れた上で、高齢者が行動や言動が変わった時は、なぜ?きっかけは何?気持ちが変わった理由は何かなど考えつつ、高齢者の思いを理解することだと思う。
高齢者のその瞬間の思いは理解できると思う。

その上で、その人の思いの背景を考える。

ならば、その今の思いの、延長線上にある思いは?しんどさは?楽しさは?それらを考えることで、初めて、現在のその人なりを考えていけると思う。なので、僕にとってはアセスメントは、アセスメント視点は対象者とのコミュニケーションツールでもある。

例えば、お笑いというものが好きなら、それを通して、誰かと仲良くなり、そこからその人を理解できる。そのお笑いというものと似たようなものがアセスメント視点だと思う。

お笑いなら、どんなことが楽しいかやどんなことで笑うかは理解できる。そこから話題が広げられる。もしかしたら、その人の描く家族像や休日、幸せ像も理解できるかもしれない。

その人の好きなものや興味があるものを一緒に楽しんだりはなかなか難しいです。

その時に、好きまではいかなくても、好きなものや興味があるものを、それ良いですよね。ってコミュニケーションが取れるツールかなと思います。

アセスメントはそういうものだ。僕にとっては。

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