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貧困だった子供時代~団地と私~

この記事について

こんにちは。
借金返済がんばるアラフォー女、アオキです。

なぜ借金を繰り返す生活を続けてしまったのか?
自分の子供時代を振り返りながら考えてみようと思い、この記事を書きました。

家族4人、団地暮らしが始まる

幼稚園年少の頃は、父、母、私、生まれたばかりの妹の4人家族で、社宅に住んでいました。工場の一角が、住居になっているような感じでした。
父の月収は手取り16万円~最高額19万円だったようです。

幼稚園年長の時に団地に引っ越しましたが、家具を運ぶ前に下見をした時の衝撃がすごくて、いまだ忘れられません……

大きなヒビを何度も補修した団地、エレベーターの無い5階建て、ペンキがボロボロに剥がれ落ちたまだら模様の室内、歩くとギシギシ音が鳴る台所の木製の床、汚れとサビだらけのキッチン周り、コンクリートむき出しの風呂場とトイレ(ペンキを塗ってあったようですが、それも剥がれて灰色と白のまだら模様に……)、足の裏に劣化した畳のカスが付く部屋、シミだらけの押し入れのフスマ、たてつけの悪いバルコニーの引き戸、鳩のフンまみれのバルコニー、手を触れるとパラパラと砂が落ちてくる天井。

引っ越した先の、団地の部屋の壁(フリー素材・photoAC)

子供ながらに、ちょっと気持ちが悪いな……と、思いましたが、父親がヘラでペンキをはがし、塗り直してくれました。

貧困だと気づかなかった子供時代

生まれた時から質素な暮らしをしていたので、私にとってはそれが当たり前で、貧しさは感じていませんでした。
お肉を食べる機会はあまり無く、3玉入りの焼きそばに魚肉ソーセージともやしを入れて、4人家族で食べるような食卓でした。
卵料理が多かったと思います。

商店街で鮭の切身を買う時、母はいつも店主に「尻尾のほうを2枚ください」と注文していました。大きく三角形にカットされている切身で、2枚を4つに切り分ければ、家族4人で食べられるからです。

フリー素材・photoAC

豪華な食事をするのは、月に一度だけ。
父親の給料日に家族でファミレスに行き、ハンバーグを食べるのがとても楽しみでした。
ゲーム、CDプレイヤーも買ってもらえませんので、クラスメイトの家で、ゲームをプレイさせてもらってました。
地球儀や、こどもカラー図鑑セットがあったので、お金がなくても、子供の学習用品だけは頑張って買ってくれてたんだと大人になってから気づき、感謝の気持ちでいっぱい。
幸せな記憶しかありません。

家庭崩壊と、貧しさに気づいた出来事

中学時代、夫婦喧嘩が増え、家が居心地の悪い場所になっていきました。
父は近所の男性たちと地元のスナック通いをはじめ、そのうちパブに行くようになり、家族の目の前でホステスと電話をするようになりました。
「〇〇ちゃん? 〇〇君だよ、覚えてる~?」……聞いてられません。

飲み仲間の近所の男性たちは、父を「アニキ」と慕っていて、家にもよく遊びに来ました。
家で大きな声で騒いで酔っぱらって、嫌だな……と思い、土日は外に遊びに行ってました。
夕食時、仁王立ちで怒鳴る母、ふてくされて酒を飲む父、無言で食事をする私と妹。
「離婚したらどちらについてくるか?」
父からも、母からも、影で耳打ちされた事があります。

中学校の遠征行事で、旅行用のリュックが必要になりましたが、「うちは買うお金が無いから」と、母親のおばさんっぽいシルバー生地の花柄トートバッグを渡されました。
遠征行事の数日前、「当日と同じ荷物で登校して先生にチェックしてもらう」という日の朝、登校中の同級生たちをバルコニーからながめていたら、みんな色とりどりの大きなリュックを背負っていて、花柄トートしか持てない自分が恥ずかしくて、泣きました。

うち、貧しいんだ……って、痛感しました。

足がすくんで学校に行く勇気がなくて、バルコニーで泣き続けていると、母親が「今日はそのバッグで我慢して、学校から帰宅したらリュック買いに行こう」と言ってくれました。
そして私も、出来るだけ安くて大きいものを選んで、2000円ほどのリュックを買ってもらいました。

その月の給料日前、母は商店街の真ん中で「食費がない」と泣き出してしまったので、罪悪感ありました。
「私、今日ごはんいらないよ」と、言った記憶があります。

「大学にも専門学校にも行かせられないので、都立の商業高校に受かって、アルバイトや就職をして、家にお金を入れて欲しい」と言われていました。
将来の夢があったのに、スタート地点から私はその夢を断たれているんだと絶望し、「なんでお金ないのに2人も生んだの! 家計を助ける収入源として私は育てられてるの!?」と、母親に言ってしまったこともあります。

愛情はちゃんと感じていたのに、ごめんなさい。
そんな優しい子供思いの母が、不整脈と心不全による突然死で他界しました。

父と子供の3人暮らし

父は相変わらずホステスに電話をしているし、叔母のタレコミによれば、近所の奥さんと不倫をしていたという事でした。
親戚の叔母がそう話したとたん、横にいた叔父が「子供にそんな話をするんじゃない!」と怒っていたのを覚えています。

無事に都立高校に受かった私は、アルバイトをしながら高校に通いました。
最初は父が夕食を作っていましたが、「おまえたちも料理してくれよ、お父さん仕事で疲れてるんだよ!!」と言われました。
慣れない料理を出してみましたが、味に文句をつけられたので、キレて料理を壁に投げつけたりもしました。
父の料理も食べたくなくて、アルバイト先の廃棄フードをもらったり、コンビニの安くて大きいパンばかり食べる、高校生活がはじまりました。

貧しくて高校に行けなかった、妹

私の時は、母もパート勤務をしていたので、高校進学させてもらえましたが、妹の時は母が他界して、父も仕事を休みがちになっていたため、中卒で働く道しか残されていませんでした。
つい最近、妹から聞いた話ですが、「高校受験したい」と妹が父に相談したところ、「そんな金、どこにあるんだ!」と言われて、ひとりで悩んでいたそうです。
私も妹も、両親に対して【生んでくれて、ありがとう】なんて、その当時は思えませんでした。
また、この頃の経験が、今の【DINKs(選択子無し)】の価値観が形成されるきっかけになっています。
経済的に余裕がなければ、我が子を不幸にする未来しか見えないので、生みたくないのです。

父を憎む

私と妹は父が帰宅する時間には、よく近所の公園に避難して、ふたりで家を出るか? 父の酒に何かまぜるか? などと、真剣に計画を練っていました。
公園の遊具を何度も何度も蹴り飛ばしながら、怒りを叫びました。
最近は刺激的な言葉は使いにくい世の中になりましたが、何を計画していたかは、お察しください……。

バイト先で「父が嫌い」と打ち明けると、「そうは言っても親でしょ、親がいなくなって泣かない子供なんていないよ?」と言われ……
あー……なんにも、わかってもらえないんだなって。
同じ経験をした人にしか、この感情は理解されないんだと悟り、もう誰にも話さなくなりました。

推し活の、はじまり

そんな人生で一番つらかった時期に、心の拠り所になってくれたのは、大好きな推しです。
18才で就職した私は、旅行会社で35万円の旅行ローンを申込み、ファンクラブの海外イベントにひとりぼっちで参加しました。
これが、はじめての借金です。
現地でファンの友達が沢山できて、地方ライブにも行くようになり、推し活にお金を使うようになりました。
居場所が出来たことが嬉しかったし、心の底から楽しかったです。

妹と夜な夜な相談した計画を実行する事もなく、私が20歳の時、父は闘病の末、他界しました。

姉妹ふたり暮らし

親から私に、自動的に、団地に住む権利が譲渡されました。
父の退職金の残りは700万円ありましたが、私も妹も現実逃避のためにそれぞれ好き勝手に生活する事になり、すぐに使い果たしました。

私は開放感を求めて、1か月ほどアメリカに行きました。
海外イベントが楽しかったのを思い出し、ひとりで海外を気ままに旅してみたくなったのです。
良質なものを持ちたい!と思い、5万円のスーツケースを購入しました。
4万円のワンピース、2万円のパンプス、3万円のバッグ……海外の免税店でシャネルの化粧品を大量購入……

帰国後は、ボロボロの部屋を綺麗にしよう!と思い、高いインテリアを買いそろえ、タタミにフローリングカーペットを敷き、和風をむりやり洋風にしたような、微妙なセンスの部屋に生まれ変わりました。

気づけば姉妹で、たった1年で700万円を使い切っていました。
父が他界した時、親族から「保険金出るでしょ?そのお金でマンションを買いなさい」と言われて、(なに失礼な事を言ってるの……)と、頭にきたのですが、それが正論だったと今ならわかります。
資産に変えておくべきでした。

団地から一刻も早く出たいと思った理由

父を慕っていた近所の酔っ払いが家に何度もやってきて、「アニキに線香をあげさせてくれ」と頼み込んできました。
居留守を使って逃げていたのですが、ある日、私が仕事から帰宅すると、家の前で待ち伏せされていました。
酔うと奥さんにDVをする怖い男で、ナイフで我が子を切りつけた事もある人です。
その男が、「線香をあげさせてくれ」と、玄関のドアをふさいでいるのです。
妹はまだ帰宅していません。
どうする事も出来ずに、私は男を家にあげました。

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怖くて怖くて、男が部屋の奥で線香をあげ手を合わせている間ずっと、いつでも玄関から逃げ出せるような位置に、私は立っていました。
男は真面目に手を合わせに来ただけのようで、父がどれだけ頼りがいのあるアニキだったか熱弁し、私の肩に手を置いて「がんばって生きるんだぞ!!」と号泣しながら、帰っていきました。
生きた心地がしませんでした。
その後も何度も、毎月のように「線香をまたあげたい」と玄関のドアを叩きながら叫ぶので、早くこの団地を出なければ……と、将来のことを考えはじめました。
そのうち男は、血まみれのナイフを持って暴れているところを警察に取り押さえられ、男の家族は夜逃げしたとのことです。

貧困から脱したい

子供時代から住んでいた団地は、世帯収入によって毎年家賃が変動する仕組みでです。
私と妹は低収入だったので、家賃は2~3万円でした。
高収入の世帯は住めませんので、このエリアはもともと低収入世帯が多いのですが、その中でも我が家は貧しいほうだったようです。
さらに貧しい世帯も沢山あり、もえるゴミの日には、ゴミを漁る人が何人もいました。
特に衣類は、下着もソックスもゴミの中から盗まれるので、気持ち悪くて、ハサミで切り刻んでから捨てる癖がつきました。

いつかは取り壊され、新築集合住宅に優先的に住む権利が与えられるそうで、それまで待つか、自分たちで早く引っ越し先を探すか悩みました。
でも新築物件は家賃がハネ上がりますし、今すぐ引っ越すにしても敷金礼金に加え、東京の家賃が高すぎて、生きていける気がしません。

18才と、21才の時に彼氏が出来ましたが、長続きせず。
就職先では鬱になり、退職。
転職もうまくいかず、借金返済のため、6時から22時までトリプルワークの日々。
好きな推したちは解散し、残ったのは推し活でできた借金と、思い出だけ。

生活費が足りないので、クレジットカード利用やキャッシングが増えていきました。
自転車操業ばかり上手くなって、督促状が届く事も何度かありました。
妹が役所に相談しに行ったところ、「あなたみたいな子供が来るところじゃない、大人と一緒に来なさい」と言われ、泣いて帰ってきました。

結婚をしたら、少しは生きるのが楽になるかな……と、考えるようになりました。
今まで親に頼らずに気を張って生きてきたけど、そろそろ誰かに頼りたい、甘えたい、助けてもらいたい、安心して住める場所が欲しい、そんな気持ちでした。

そんな時に、結婚前提の出会いサイト(現代で言うところのマッチングアプリ)に登録し、はじめて会った男性に一目ぼれし、即日お付き合いが決まり同棲を数年続け、このたび入籍する事が決まりました。
マッチングサイトはあくまでも「きっかけ」でしかなく、あとは普通の恋愛と同じでした。
ただ、「結婚前提で登録している人ばかり(の、はず)」なので、話が進むのは早かったのだと思います。

ちなみに、【Aimail】という婚活サイトです。(自己責任で検索・利用をお願いしますね)
私も彼も顔出しNGなので、お互い似顔絵を掲載していました。
会ってはじめて、顔を知ったんです。

団地の、いま

今年の秋、このnoteで記事を書くにあたり、当時住んでいた団地の写真を撮ってきました。
タワーマンションや綺麗な新築物件が周りに次々と建ち、私の慣れ親しんだ昭和の団地は、もうすぐ無くなってしまうそうです。
このサビた扉は、ダストシュートです。
中に大きなポリバケツが入っていて、5階からでもゴミを下に落とす事が出来ました。

団地・ダストシュート

団地の建て替えと退去は、ほぼ強制でしょうし、都のサポートもきっとあると思うので、粗大ゴミの集積所があちこちに作られていました。

団地・退去前の粗大ゴミ

いくつかの団地は、すでに取り壊されて、新築集合住宅が建っていました。
私も同棲・結婚せずに、妹とあのまま団地に住み続けていたら、今ごろこの住宅に入居していたのかもしれません。

団地の取り壊し後に建てられた、新築集合住宅

このエリアの団地は、低収入世帯しか住めないと書きましたが、ごく一部、実はこっそり裕福な世帯もあったようです。

一時的に離婚をして、母子家庭で団地で暮らしている間に、ご主人が実家暮らしをしながら高収入で稼いで貯蓄をし、目標額まで貯まったら再婚をして、マンションや一軒家を買うという家庭もあったようです。
本当かどうか? 母が井戸端会議で仕入れてきた情報なのでわかりませんが、あきらかに裕福そうに見える、団地暮らしの同級生はいました。

私は長年彼氏と同棲していますが、一般的な賃貸マンションに住んでいます。
インターホンとか、ユニットバスとか、本当にごく普通の部屋でも「すごい!私こんなキレイなところに今、住めてる!!」と思えます。
来年は3LDKマンションを買います。(彼のお金で、あああ……申し訳ない)

本来は質素な暮らしで耐えらえるはずなのに、身の丈に合わない浪費癖が治らず借金を続けてしまったので、これからはお金の使い方を勉強して、生活を立て直したいです。
150万円の借金を3回くり返しましたが、今は残38万円。
もう二度と借金したくありません。
新しい家族に迷惑をかけたくないので、がんばります。

お読みくださり、ありがとうございました。

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