結婚はできないし、しないと分かっていた


今年の東京レインボープライドは3日間の予定だったのだが、初日は強風のために安全を考慮して中止となった。そして日を改めた翌日に再度代々木公園へ行く。企業や活動団体のブースでの協賛品で手荷物が多くなってしまったが、様々な場所で久しぶりに逢う人たちも多くいた。

途中久しぶりに見る顔かもなと近寄っていったら、顔を見て「久しぶり!」と言われる。仙台の小浜さんだ。小浜さんは今年2月に、『同性婚を認めないのは憲法違反だとして、14日にも婚姻届の受理命令を出すように仙台家庭裁判所に家事審判を申し立てる(朝日新聞記事より)』行動を起こした人だ。

自分が当時居た東京のHIV予防啓発団体にいたときに、小浜さんは同じ予防啓発団体『やろっこ』を仙台で行っていて、当時のパレードの際、美しい羽根のオブジェを着けた小浜さんの写真を撮ったのを覚えている。SNSでは見ているものの、こうしてお逢いするのはそれ以来だろうか。

小浜さんに自分のことを話す。自分は福島の田舎町出身の人間である。「田舎の産まれで長男なんですよ」と言うと、「それはいちばんつらいタイプだよな」と言われる。それもそうだ。田舎のコミュニティは狭いし、結婚や子どもが産まれたとか家を建てたとかいう情報はすぐに入ってくる。自分はそれが苦痛である上に、幼少期から10代の殆どはいじめが自分の人生を占めていた。思春期の頃に自分がそういう人間であることに気付いた。その流れは20代も続き、前半まで田舎に居て、家の人間からイヤと言うほど周辺の結婚話や子どもが産まれただの言われる。それはもう帰らないであろう実家に帰ってきたときにも繰り返し言われた。亡くなった祖母には「結婚して孫の顔が見たい」と何度言われただろうか。だから東京に出たのに、ゲイとして生きていても、田舎の結婚第一主義的なものには心底傷ついた。

今でこそ同性婚ができるようにと、同性婚訴訟の動向を注視している。この国の政権与党というものは、同性婚や選択的夫婦別姓には家族観だかなんだか知らないが、ずーっと慎重かつ国民的に丁寧な議論が必要だと言いながら、一向に話は進んでいない。一方、共同親権についてはまともな議論もされず、反対の声や意見も聞かずにトントンと可決されて参議院に送られる。このスピードの差はいったいなんなのか考えてしまう。政権与党がLGBTQ+が嫌いなことを知っている以上はとても懐疑的である。

こうして結婚というものが地獄の様相を見せるのであれば、結婚なんてしたくない人も増えるだろうし、ただでさえ子どもも産みづらく育てづらい環境がもっと加速するんだろうなと思っている。それこそ男のエゴというもので離婚させないような風潮を作ったり、望まない妊娠で子どもを産んでもどうしようもできずに遺棄して女性が逮捕される。男は何も問われない。そして結婚する上で同姓にするのも男のエゴが大半であるだろう。考えてもみてほしい、政権与党の男性議員が「離婚しづらい社会は健全」と曰うのだからな。その議員はDVの過去があったと聞くけれど…

それでも自分は結婚できないし、しないと分かっていた。自分には自閉症スペクトラムがあり、仮に女性と結婚して子どもが産まれて、自分と同じような目に遭わせることが如何に酷なことか分かっている。自分に何もなければそれこそ女性と結婚をして、子どもをもうけていただろうか。ただ自分の過去を振り返れば、それこそ本当に結婚なんて考えなくても良かったのだ。今は『既婚ゲイ』という属性もあるけれど、それはそれでしあわせにはならないなと思っている。

今はLGBTQ+の友情結婚を謳うサービスも出てきたが、それとは別に夫婦関係を築いたり子どもをもうけたりした男性がいつからか他の男性と関係を持つなんてことも少なからず見るし、男性同士の出会いのための掲示板に既婚男性を求める書き込みも見る。正直自分は好きなパターンではない。家庭もあるのに女性と離婚せずに他の男性と関係を持つのは考えられない。中には既婚でストレート男性であり、しかも身体や性欲に恵まれているのをウリにして、男性に性欲をぶつけてはFans系に行為を載せる人間もいる。だとしたら結婚って何なんだろうかと考えたくもなる。既婚でもゲイであるということに後ろめたさはないのだろうか。

先日、パレードに参加した最終日の東京レインボープライドを最後まで居ずに途中で出て、映画館のある東中野へ向かった。ドキュメンタリー映画『94歳のゲイ』を観てきたのだ。東京レインボープライドの期間に公開された。いわゆる祝祭の場と映画の舞台である大阪釜ヶ崎で御年94歳になるひとりのゲイの老人の話は、光と影、今と昔をまざまざと見せつけられるものであった。

長谷忠(はせ・ただし)さんという方が出てくる。この方が『94歳のゲイ』である。以前大阪の放送局で放映されたドキュメンタリーに追加撮影、再編集を加えた『93歳のゲイ』を大阪と京都で限定公開されたものに新たなシーンを加えたものがこの映画である。

関西の方なら観た人もいるだろうし、あらすじにもあるのだが、誰かと交際したこともなく、性交渉もしたことがない。そしてこれまでカムアウトもせず、好きな男性が出てきても告白することもできない時間を過ごした(『94歳のゲイ』パンフレットより)。同性愛というものが「異常性欲」とされ、WHOでも削除されるまで精神疾患とされてきた。自らがゲイであることをいくら分かっていても、このようなことが歴史的背景の中にあったのだから、ゲイであることを言うことだって、長谷さんでなくても自分でもためらったと思う。パンフレットにあるインタビューでは「いまは好きな人と一緒になれるやん、そんな時代に僕も生まれたかった」と言い、それでも「まだまだゲイとかレズビアンとか公に言えへんやろうな」と。長谷さんが本編の最後に言っていたことがとても印象的だったのだが、それは映画館で確かめてもらいたい。

ゲイの自分も、今は同性婚訴訟を機に結婚についての話ができるし、興味があればその流れで同じ姓を名乗りたいかの話も自然な流れですることができる。そのときの自分の結婚に関する価値観が変わらない以上は結婚の可能性は出てこないにしても、異性婚と同様の制度が同性婚でもできればあらゆることで困ることもない。だから日本でも同性婚ができるようにと応援したいと思う。

両親の結婚がなければ自分は産まれなかった。ゲイであることを想定せずとも、その生き方を決めるのは他人ではなく自分自身であるという軸は忘れずにいたい。

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