マイノリティを笑いのネタにする世の中を終わらせよーぜ

とんねるずのタカさんが、『みなさんのおかげでした』で再び「保毛尾田保毛男」をやった。

あのときはまだ番組タイトルも『みなさんのおかげです』で、ノリダーとかノリ子、言葉としては「そこまで言う~」ってのも出てたな。あの頃は小学校高学年だったと思う。ただ木曜9時というゴールデンタイムでやっていた番組はあの頃のフジテレビを物語っていて高視聴率だったんだよね。クラスの誰かしらが必ず話題にしていたという記憶がある。自分はテレビっ子だったけれど『みなさん~』はあまり見ていないし、「保毛尾田保毛男」の記憶もどんなネタだったかは分からない。ただ、あのビジュアルはやけに記憶に残っていた。ステレオタイプの残像が。

その「保毛尾田保毛男」を再びやると知ったのはスペシャルが放映される当日だっただろうか。あのときとは違い、自分はゲイとして生きていて、30年も経っていれば人権的な感覚も養われていくし、そのようなことへの社会参加もするようになった。それくらい世の中は変わったと思っていた。だけど今の時代に「保毛尾田保毛男」はステレオタイプの残像以上にトラウマを持つ人が多い当事者もいるし、何故今?とも思う。その気持ちは放映当日や翌日のフジテレビの社長の謝罪報道を受けての自分のツイにも少し書いたので以下引用したいと思う。

----------
(このツイを引用して→ https://twitter.com/RainbowSoup1/status/913351070742482944 )
思春期にゲイではないかと感じた自分は、いつからか弱い何かを笑いに変えてさらに卑下するこういうものと闘ってきたのかな。ただ、今も闘わないといけないのはしんどいが、やらなきゃいけないことなんだと思う。悲しい悔しいと口に出して文字にして。

(『みなさん~』から星野源さんの『SONGS』を見ていて)
今はとんねるずよりもおげんさん見てた。
『Family song』の前に、いろんな家族のかたちがあっていいって。遠くにいる家族とか、両親が同性の家族とかって、以前Mステで言っていたことを改めて言ってたよ。
おげんさん、最高のカウンター。

(あの頃を考えての連ツイ)
確かに保毛尾田保毛男のネタがあったあの頃のとんねるずのみなさんのおかげでした (前は〜です、だった) ってすごい高視聴率だった。だから影響力は多くあったと思う。ただあの頃のキャラが今に通じると思っているならフジテレビ含めてメディアのコンプライアンスが変だと思うよ。
こうして秩序って無くなっていくんだと思うよ。バカにしていい、いじめてもいい、そんな世の中でいいのかな。思春期にゲイなのかなって思ってずっと生きづらくて、大人になって今ようやく落ち着いてきたのかなって思ってもメディアがこれだから。メディアの影響力が大きいことくらい考えてほしいよ。
自分は活動家になるわけではないけれど、後世の誰もが生きやすい道を作っておかなきゃって思うのは自然なことでしょ?だからこうやって怒るときに怒らないといけないのよ。政治だってそうじゃん。

(「保毛尾田保毛男」批判のヤフーニュースを引用しての連ツイ→ https://twitter.com/YahooNewsTopics/status/913605297754820608 )
ここに連なっている@が「嫌なら見るな」と差別の肯定が多いんだよな。
「昔は良かった」なんて言っても、昔からこのような差別と偏見に闘ってきた人は多くいるんだよ。
東郷健氏とか『府中青年の森事件』とか調べてみるといいよ。
この件に対して「うるさく言うと『LGBT=面倒臭い人たち』って言われる」って表明しちゃう冷笑系の面倒臭い人たちもいるわけ。こじらせすぎだよね。
子どもの頃のトラウマって消えにくいの分かる?TVで保毛尾田保毛男やってて隣で笑ってる横でつられ笑いせざるを得ない感じのアレだよ。
別にウザがられても結構だ。あんなことができた時代はとうに過ぎたんだ。時代遅れのままメディアが停まっているんだよ。昔は良かったねといつも口にしながら生きているのは本当にイヤなんだよ。

(そしていろいろ思う)
「嫌なら見るな」も「(抗議しているセクマイと)いっしょにするな」も「面白かったですよ、ゲイだけど」もみんな根っこは同じで、マジョリティで居たいだけなんだよ。そこまでして同調圧力を求めたいのかな。

悲しいけれど、こんな世の中でマイノリティの人や困っている人、悩んでいる人やこぼれ落ちてしまった人に対して「自己肯定感を持て」と言ったって持てるわけないよそんなもの。こんな世の中だから。
---------

とにかくマイノリティというだけで過剰な努力をさせられたり、一般的な健常である自分と違うから笑いのネタにさせられたりとか、その受け入れ手になるとしても、当事者であれば大きなストレスになっていくと思う。
日本という国はマイノリティにことのほか厳しく、マジョリティに合わせていなければいけないという束縛が思うよりも多い。その属性であると隠し通さなければという余計なストレスや同調圧力にもさらされる。
自分自身、思春期にゲイなのかなって思ってそのまま怒涛の思い出したくもない日々を過ごして、大人になってやっとゲイだということを隠さずに生きてはきているけれど、このようなことが繰り返されればあの頃を知っている自分にとっては居た堪れないんだよ。だからもう「保毛尾田保毛男なんて今はもう古いしダサい」ってしつこく言わんといけないんだと思う。外様がなんて言おうが言わなければ時代が止まったままになるから。現時点で謝罪という「かたち」にはなったんでしょ(とはいえニュースで知る限りあれは謝罪と言えるのだろうか)。それだけテレビは今でも大いに影響を持つわけだから。
確かに「うるさく言うと『LGBT=面倒臭い人たち』って言われる」のだろうし、「気にしない」「嫌なら見るな」「キャラは面白かった、だからうるさく言うな」「懐かしいものを奪うな」という反応もあったのは事実だ、当事者も含めて。自分とは関係のないものに対しては総じてマジョリティな反応だし、マイノリティに属していても自らの性自認や感情如何でマジョリティに染まってしまえる。そんな世の中でもしつこく伝えなければいけないことは多くある。いつまでもステレオタイプの呪縛に染まっている場合ではない。だから言う。結論としてはこのツイの言葉だから。

マイノリティを笑いのネタにする世の中を終わらせよーぜ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?