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僕らから、”エモ”までも奪ってくれるな―「パターン化された”エモ”」小論—

もうパターン化された“エモ”気持ち悪すぎるんだよ、純喫茶でクリームソーダ、フィルムカメラで街を撮る、薄暗い夜明け、自堕落な生活、アルコール、古着屋、名画座、ミニシアター、硬いプリン、もう全部飽きた 面白くない
(@_capsella_、2023年1月8日)

https://twitter.com/_capsella_/status/1611892581537058816

 竹馬春風です。本稿は、大阪大学感傷マゾ研究会の会誌『青春ヘラ ver.8「シティダーク/アンダーグラウンドレトロ」』に、会員として投稿した文章です。ぜひ会誌のほうもお買い求めください。

<自己紹介>
京大情報学科3回生です。ボカロPもやっています。故郷松山に原風景を抱え、『秒速5センチメートル』に人生を狂わされ、『氷菓』で青春の在り様を学び、RADWIMPSで恋愛観を洗われました。最近は感傷マゾ研究会での活動のことを、社会という急流の中で流されじと岩にしがみつく水草やプランクトンの類のようだと思っています。せめてあと一年半は「異常」で居たい。


 どうしたんだい? タイトルからそんなに被害者面して。最初から、「エモ」はお前らのもんじゃないんだぜ。
 そんなことは分かっている。「エモ」はただの語彙であり、そこに所有の概念はない。語彙は日々その意味を変化させていくものだ。僕の知らない「エモ」があってもいいのである。
 しかし、指す意味の変化に対し適応力があったはずの「エモ」という語彙に、「パターン化された」という接頭辞が付き、その下に僕の理解範囲を遥かに逸脱した事象が次々と例示されているのを見て、黙っていられなくなった。

 僕は「エモ」を理解していたはずだった。だからこそ本誌『青春ヘラ』において「青春の全体主義」について語る際には度々「エモ」を言及・比較してきたし、普段のツイートや日常会話にも使っていた。しかし今や、僕が幾度も使ってきたそれらの「エモ」が人々に通じないときが来ているかもしれないのである。
 僕がやがて「エモ」を誤用する老害みたいな扱いを受ける前に、本稿では、まず状況整理をし、どこで僕の「エモ」が「パターン化された〝エモ〟」と袂を分かつことになったのか分析し、両者がどのように歩み寄るべきか(これが、ある意味僕の死活問題なので)考えていく。

一 状況整理:「パターン化された〝エモ〟」とは

 「パターン化された〝エモ〟」とは、巻頭にて引用した二〇二三年一月のバズツイートにて初出の言葉である。ツイート主の鍵アカウント化により、現在は非公開となっている。
 注: 2023/12/16現在、鍵垢じゃなかったりもする

 当該ツイートは、パターン化された「エモ」として、「純喫茶でクリームソーダ、フィルムカメラで街を撮る、薄暗い夜明け、自堕落な生活、アルコール、古着屋、名画座、ミニシアター、硬いプリン」を例示し、それらを「面白くない」と吐き捨てた。それらの「エモ」へのアンチテーゼが共感を呼び起こして、ツイートは二万五千いいねを獲得した。現在でも、「パターン化された〝エモ〟」略して「パタエモ」はTwitter上で度々言及されている。

 ツイート主のアカウントは現在非公開となっているため、投稿者の実際の意図は本稿では掘り下げないが、このツイートを分解して得られる命題は概ね下記の三つであろう。

 一つは、「パタエモは面白くない」という命題である。これに関しては、僕が『青春ヘラ』ver.4に投稿した論考において述べたことと関連性がある。「エモい」はそれ自体曖昧な語であって、本来それは無限にある要素を意味論的に包含しているべきだが、それを「これはエモい・これはエモくない」などと帰納的に線引きしていくうちに、些か暴力的なほどの概念の固定化(パターン化)がなされる。本来「エモい・エモくない」というタグが付いていなかった事象にもそのタグが付いてしまうことによって、事象の意味的な可能性が制限されてしまうのを、僕は「全体主義的」だと指摘した。「硬いプリン」も、「エモ」という文脈に吸収され消費されることで、「面白さ」が減ってしまうのであろう。

 二つめの命題は、「純喫茶でクリームソーダ、などの事象は〝エモ〟としてパターン化されている」ということ。ここに僕は強い違和感を抱き、本稿を書くに至ったわけである。要約すれば、筆者は「エモい」を分かっているつもりでいたのに、「エモい」と感じない事象をその典型例であるかのように挙げられた、ということが衝撃的だったのである。『青春ヘラver.1』での僕の論考「「言葉」に救われたいのに。──「青春の全体主義」概念の提唱」では、言語化による概念の過激な線引きは、人の「共有したい」「どこかに分類されたい」「疎外されたくない」という願望に起因する、と主張した。今、僕はまさに自分の愛用する「エモい」に疎外されようとしているのである。

 三つめの命題は、補足的なものであるが、「純喫茶でクリームソーダ、などの事象は面白くない」という命題である。これは一つめの命題とは異なり、具象に対する「面白くない」という評価である。元ツイートの本旨がこの命題であった可能性も否めないが、僕はそれらの具象に明るくないのでこれ以上展開しない。

 以上を要約すると、件の「パタエモ」ツイートに対して、僕は相反する愛憎の感情を抱くのである。一方では、概念のパターン化による言葉の意味の変質を問題提起する第一命題に、同調する感覚。他方では、僕が「エモい」としたものと相反するものを典型例として例示する第二命題に、疎外される感覚。僕が本稿で行なっていきたい「パターン化された“エモ”」論は、右に述べた「疎外感」との個人的な向き合いに他ならない。

二 僕の〝エモ〟と、あちら側の〝エモ〟

 ところで、僕は何を「エモい」の典型例として捉えていたかを明示しないには、議論が始まらない。

 僕の「エモい」とは、まさに『青春ヘラ』ver.1やver.4の表紙イラストのような風景である。
 青春ヘラ: 大阪大学感傷マゾ研究会会誌

 なお、これらの表紙に関しては、イラストの制作には携わっていないものの、文字入れは僕が担当しており、自分なりに「エモい」を体現しようとした試みの跡は、多少なりとも残っている。

 僕の「エモい」とは、青春と隣り合わせの概念である。それは夏の終わりの入道雲だったり、夕暮れだったり、ポカリの広告であったり、ボカロPで言うとOrangestarさんやn-bunaさんや*Lunaさんやアオトケイさんであったり、あるいは逆にいつか聴いた懐メロだったり、一緒に歩いた帰り道だったり、初恋や失恋だったり、純愛であったり、「どこにもいないキミ」だったりする。僕は、それらを今でも飽きずに語り続けている。そうやって過去や虚構ばかりを語る自分自身さえも「エモい」に押し込めようとする、酷い私欲すら持っている。

 このような僕の「エモい」観は、少なくとも2010年代のオタク文化という文脈では理解されていたはずだった。右の段落を頷きながら読んでいた僕の同志はきっといるはずで、僕は彼らとそのような事象を語るためだけに彼らを食事に誘いたい。
 そして、それらの「エモい」観は、かつてはインスタグラムでその通り「#エモい」とタグ付けされるくらいには、メインストリームだったはずである。「エモい」景色は、虚構の文脈を飛び出して、例えばAkine Cocoさんの写真集『アニメのワンシーンのように。』に集約されたり、海の見える下灘駅や鎌倉高校前駅に群がる観光客の憧憬となったり、「ただ君に晴れ」や「青と夏」などの王道J-POPのミュージックビデオに反映されたりした。
 とはいえ、僕のこの「エモい」観が自分の属性ありきであることも否めない。アニメをよく観たインドアなオタク育ちで、今は無教養で視野の狭い工学部男子で、古着や観劇などのカルチャーに疎く、世間的に退廃的な自堕落な生活を許されていない、しかしいつまでもオトナになれずに過去や青春や「あの夏」にばかり縋ってしまう。生粋の青春ヘラリストであり、「パターン化された」らしいあちら側の「エモ」に対して、あまりにも対極的な環境にいるのである。

 このように、僕の「エモい」と「パタエモ」の「エモい」を整理するにあたって、『青春ヘラver.4』におけるペシミ氏の論考「『エモ』と『アオハル』の20年代」が参考になる。ペシミ氏は、「エモい」の客観的分析として、時間軸・感情軸という二つの軸で「エモい」を以下の四象限に分類しようと試みた。

ペシミ「エモとアオハルの 20 年代」より(『青春ヘラ ver.4』 p.89 図 2)

 第一象限は「現在に対するポジティブな感情」であり、目の前のモノや景色や事象に対する感動がこれに当てはまる。僕の「エモい」観のうち、入道雲や、ポカリの広告にある青春のイメージなどがこれに当てはまる。
 第二象限は「過去に対するポジティブな感情」であり、過去を懐かしみ、ノスタルジーを覚えることである。懐メロや、一緒に歩いた帰り道がこれに当てはまる。もう大学三年生、高校生活は二度と戻ってこないからこそ、その美しさが増すのである。ペシミ氏の論考においては、過去と現在の時間差が醸し出す物語性がその増幅する「エモ」さの正体だと説明されている。
 第三象限は「過去に対するネガティブな感情」である。悲しい・切ない・感傷的な感情や、個人的には「後悔」「追想」もここに含まれるのではとも思う。夕暮れは、一日の「終わり」を象徴するからエモいのであるので、美しい景色である以上に、第三象限の「エモい」でもある。失恋に関しても同様にして、時間が経って過ちが想い出へと醗酵したタイミングで、残された後悔や追想がようやく「エモい」と呼べるのだと思う。
 それらの「エモ」象限は、いずれでも僕の「エモい」観を形作っているものであった。しかし、本稿で問題となるのは第四象限「現在に対するネガティブな感情」である。それは退廃への志向であり、背徳感であり、それを「エモい」でラッピングするのは言わば開き直りなのである。実を言うと、僕も『青春ヘラ』ver.3で退廃を主題とした小説「徹李の部屋」を執筆したが、今でも、「愛せるような退廃」に対してより高い解像度を持てなかったものかと後悔するものである。

 「パターン化された〝エモ〟」として挙がっていたもののうち、第四象限に当てはまるものは多い。「薄暗い夜明け」はそもそもその時間まで起きている生活リズムへの背徳感と解釈できる。「自堕落な生活」はその名の通りであり、「アルコール」に関しても説明は不要であろう。その他の事象も、どちらかといえば生産性や効率を要求する現代社会から逸脱したスローライフや、目標に向けた上昇志向から逸脱した「今を楽しむ」というイズムが垣間見られる。
 もちろんすべての「パタエモ」が第四象限に当てはまるわけではない。純喫茶のクリームソーダは、おいしいし、きれいである。古着は、かっこいい。シアターは、おもしろい。それらに感動すれば第一象限であろう。フィルムカメラは、その解像度の低さが想像の余白となって物語性を醸成する、そう考えれば第二象限に入る。しかし、ここで問題としたいのは、それらが一連の系列として挙げられることで描写されるサブカルチャーの所在、それ自体は紛れもなく第四象限的な「エモ」である。

 要約すると、僕の住む世界は第一・二・三象限。「パタエモ」の住む世界は第四象限。どちらのエモも存在し、二十年代においては不可欠な語彙となっている。そのことに関しては、現代の流行やコンテキストに敏感でなければならない感傷マゾ研究会の一員として(あるいはインターネットの住民として)重々理解していることを、改めて強調したい。僕が違和感を抱いたのは、第四象限が「エモ」の典型例として叫ばれ、「パターン化された」と烙印を押されたこと――その「パターン」が、僕の見知ったものではない、ということである。

 それらは本当に「パターン」なのか? 本当に「パターン」なのであれば、僕はもう迂闊に「エモい」という言葉を使えなくなるだろう。この語彙を以て入道雲を指すのはやがて若者たちに「誤用」とされて、僕は「老害」とみなされる。
 「エモい」は広い。その出現の新しさと意味論的な曖昧さがあらゆる概念を包含して、過度な言語化による概念の変遷から守ってくれる。(余談:Twitterのボカロ界隈が「初音ミク」という概念を巡って「ゲームのプロセカに登場する初音ミクは初音ミクか」などと論争を繰り広げているのを見ると、すべてを緩く包含してくれる「エモい」のような汎用概念のありがたみを感じる)しかし、僕の守備範囲外の「エモい」が「パターン」と呼ばれたことにより、僕は結局、「エモい」の意味論のパイを切り分けざるを得ない事態に陥れられてしまったのである。

竹馬春風「『言葉』にも突き放された我々は─『青春の全体主義』概念の語り直し」より(『青春 ヘラ ver.4』 p.114 図 2)

三 「パタエモ」への理解の試み

 では、前章で述べた通りの、第四象限的な、「現在への退廃的な感情」としての「エモい」を「パターン」として認識するカルチャーはどのようなものなのか。本章では、さらに「パタエモ」的エモを育むカルチャーや最近の動向をまとめていく。

 僕が「エモい」としてきた第一・ニ・三象限の「エモ」は、先述の通り二〇一〇年代のオタクカルチャーやSNSなどのメディアによる影響が大きい。目の前の美しい景物を愛でる第一象限的な「エモ」は、最も広く一般的な情動であるはずなので一旦無視するとして、第二・三象限の「エモい」に共通するのは、いずれも過去指向であることである。僕がその「エモい」をそれこそ「パターン化」されても良いと信じている背景として、根本的に自分が「過去指向な人間」であることが示唆される。僕は、あるいは僕の「エモい」観に共感を示してくれる人々は、おそらくは現在の事物の善悪はさておき、過去にあった良い出来事は懐かしんで記憶に残し、悪い出来事はそのまま後悔して感傷的になり、それをも記憶に残して縋ってしまうのではないだろうか。『涼宮ハルヒの憂鬱』が好きな二〇〇二年生まれの親友と一度、「オタクって流行の一世代前のものを好きになりがちだよね」という雑談をしたことがある。恋愛面を例に挙げても過去の初恋や純愛に縋って目の前の一歩を踏み出せない傾向にある「オタク」という生き物は、その根底に過去への指向が強いという性質があるのかもしれない(あるいは、これは過度なパターン化かもしれないが)。

 第四象限の「パタエモ」的「エモい」は、そのような過去指向とは真逆であり、むしろ虚構より現実、過去より現在が重要視される。「パタエモ」の退廃的な感性を支える退廃的なカルチャーとは、我々の浸ってきたオタク的サブカルチャーには否定的な、新しいサブカルチャーなのである。新しいサブカルチャーは、それ特有の教養のセットを前提とするだろう。

 僕はそのようなカルチャーに関して、最近よく耳にする二つのキーワードを思い浮かべる。一つは「鴨川」、もう一つは「だめライフ」である。

 鴨川は、京都市東部を流れる川である。南下する賀茂川・高野川という二つの河川が合流する「鴨川デルタ」が特に象徴的である。その東岸には京都大学・瓜生山学園京都芸術大学など、西岸には同志社大学・立命館大学などがあり、学生の街を象徴する景物でもある。だからこそ、鴨川の水の流れは遅く、そこに載っている学生の時間の流れも遅い。学生はモラトリアムを満喫し、独自のコミュニティと共依存的状態を共有する。そんな中で、界隈性の強いハイコンテクストな文化や芸術が生まれている。鴨川イズムは、まさに「パタエモ」に近しいスローライフの象徴なのである。

 もう一つのキーワード「だめライフ」とは、中央大学だめライフ愛好会によると、「だめがだめでいられる場所」をモットーとするサークルの名称である。サークルを紹介するnoteでは、その設立経緯として、早期化する就職活動からモラトリアムを取り返す、タテカンを立てられず言論統制が敷かれている大学から言論や生活の自由を取り戻す、などといった、決して冷笑主義的・日和見主義的な「だめ」ではない、とても反動的かつ積極的な「だめ」が提唱されている。全国の大学に「だめライフ愛好会」が設立されており、団結力が強く、界隈性が強い。「だめライフ」というネガティブな生活スタイルを、決して過去として捉えようとせず、堂々と退廃を志向している点においては、「パタエモ」的文脈に通ずると考える。

 さて、それらの例も踏まえて、「パタエモ」の背景にあるカルチャーをより具体化していきたい。
 「パタエモ」は、自己視点での退廃というより、社会視点での退廃を指向・志向する。所謂「自堕落な生活」とは、ただ自分が困るような生活ではなく、インスタントな社会に対する反動としての生活である。
 「パタエモ」は、人文学的な素養を要求する。第四象限的な「エモい」は、他の象限に較べてハイコンテキストであり、文学やアートに造詣を持ったうえで自分の置かれている状況をメタ視し、社会に流されずにモラトリアムを自ら獲得する。
 このような第四象限的な「エモい」を僕が理解できなかったのは、もっぱら自分がそのようなカルチャーに育てられていないためであった。理系・かつ実用主義の工学部として生き、人文社会系の大学講義をさほど受講せず、哲学・人文学に疎く、かといって自分で名著などの読書・観劇をしようとせず、界隈性の高いコミュニティ―を避け、社会に流されて就活をし、スローライフや自堕落を許容されない、だからこそ過去にしか逃げ場がない人だ、ということに気付かざるを得ない。

 僕から「エモ」を奪ってくれるな。そう思ってしまうも、モラトリアム人間特有の「第四象限」の拡大は、ひとりの力では抑止できない。相手は大学生、しかも複数。自分は心が高校生で成長が止まったままの独り身。どうにも、「エモい」同士の対立構造を人同士のそれに持っていった瞬間、自分に「勝ち目」はない。

 僕に必要なのは、「エモ」の意味論の奪還なのではなく、共存なのである。過去指向の美学と退廃的カルチャーと、もちろん王道のポジティブな情動と、すべての形態の「エモ」が共存するためには、どのように考えれば良いのか。それを考察していくのが急務となる。

四 「エモ」の共存・歩み寄りを目指して

 ペシミ氏の提唱した「エモい」の四象限による分類は、各象限の「エモい」の在り方に対して「物語性」などの共通項を抜き出すことで「エモい」を一つの座標平面上に共存させた。しかし、実際「エモい」が指す概念はあまりにも広く、仮想的な座標平面を飛び出して実際の語用論を考えると、共存できているかと言われれば疑問の余地がある。語用論のレベルで、両者の「エモい」を「エモい」として共存させるためには、双方からの歩み寄りが必要となる。

 まず、今の流行として「パターン化」されつつある退廃的なエモの背景として、二十年代のコロナ禍による機会損失や青春の不在があると仮定すると、そういった過去の想い出を人々に与えることで、自然と第四象限から第二・三象限への歩み寄りが実現される。我々が過去指向でいられる基本的な要件として、そもそも縋れる過去があるということがとても重要である。
 例えば、公園での外遊びや駅前での待ち合わせなどのイベントの一つひとつが、街に対する記憶を形作り、それらが過去となった際にノスタルジーという情動を生起させる。あるいは、ずっと片想いしていた人に告白して振られたとして、今やLINEで繋がりを維持することができ、卒業してもインスタグラムで日々の生活を共有でき、写真まで見られる。それに対し、本当に様々な連絡手段が絶たれてしまい、記憶の中の「君」にしか縋れなくなってようやく、失恋は「過去」となり、それは後悔や切ないなどといった「エモい」情動を生起させる。
 以上の例からも、現代は、過去指向の「エモい」情動を生起させるのがより難しくなった時代かもしれない、ということが示唆される。そういう意味では、いまの情動を噛みしめて生き、いまの退廃に縋るという第四象限的エモへの趨勢は合理的であるかもしれない。時間が経てば、僕らの「いま」が「過去」となるのと同じように、彼らの「いま」が「過去」となり、自然と過去指向的な「エモい」が理解されるようになるかもしれない。


逆に、過去指向的な我々が現在の退廃的エモにどう歩み寄るべきか。それはもちろん、過去を克服し、現在を見つめ直すことである。過去は不変で、現在は変えられる。不変なものと変わりゆくもののそれぞれに魅力があり、どちらにより情動を感じやすいかは個人の嗜好の問題かもしれないが、我々はより「現在」にアンテナを張っていくべきなのかもしれない。それは、本稿の目的である「エモい」という共通言語を失わないためでもあるが、大きくこの会誌がテーマとしている「青春ヘラ」を乗り越え、前に進むためでもある。たとえその進む先が退廃だとしても苦しみながらそれをも愛せるようになれば、「パタエモ」の心髄の部分だけでも体得できたといえるかもしれない。あとは硬いプリンを食べ、たばこの銘柄を幾つか頭に入れ、「パタエモ」の表層をインストールするだけである(そういうわけではない)。

 余談だが、本会誌『青春ヘラ』もver.8まで刊行され、初号から二年以上経ってしまったが、そろそろ先述の「青春ヘラを乗り越える」ということを当研究会の議題にしてもいいのかもしれない。自分も含め、当研究会の会員が大学卒業とともに青春ヘラと何らかの形での決着がつくことを祈っていきたい。ver.9やver.10に期待。

 このようにして、過去と現在という二項対立に着目して、互いに時間軸の「向こう側」を理解しようとすることで、「エモい」の意味論の奪い合いは調停されるのではないか。「パターン化された〝エモ〟」は、僕を排斥する新時代の嚆矢でも、意味論上の争奪戦の狼煙でもなく、所詮は一つのツイート、呟きなのである。かくして僕は自らの心境を整理できたので、まずは次の週末に純喫茶にでも足を運ぼうと思う。

参考文献や関連記事

[1]『青春ヘラ』ver.1「ぼくらの感傷マゾ」
「『言葉』に救われたいのに。——『青春の全体主義』概念の提唱」(竹馬春風)

[2]『青春ヘラ』ver.4「『エモい』とは何か?」
「言葉にも突き放された我々は――『青春の全体主義』概念の語り直し」(竹馬春風)

[3]『青春ヘラ』ver.4「『エモい』とは何か?」
「『エモ』と『アオハル』の20年代」(ぺシミ)

[4]『青春ヘラ』ver.3「虚構と異常」
「徹李の部屋」(竹馬春風)

[5]「パターン化された〝エモ〟とは – ニコニコ大百科」

[6]「パターン化された〝エモ〟」出典ツイート(現在は非公開)

[7] Akine Coco『アニメのワンシーンのように。』(芸術新聞社)

[8] 中央大学だめライフ愛好会「【今更】だめライフ愛好会とは? - note」


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