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読書雑感 | 「肉体の悪魔」の冒頭より、レモン・ラディゲに対するジャン・コクトーの想いは如何程であったか

ここ近年、「読書」が私のルーティンでありライフラインとなっている。
大袈裟な話私にとっての「本」と「読書」は、食糧や水、電気や通信と肩を並べるぐらいの位置付けではないかと思う。

本のある生活をし始めてからというもの、テレビは滅多に自分から点けなくなった。
それは、読書により想像力が映像の役目を十分に果たしてくれているため、テレビの必要性が無くなってきたからではないかと思っている。

実際においてそういう訳にはいかないが、この先テレビが無くても不足を感じないのではないかとも思う。(災害など緊急事態の際は例外であるが)

ふたたび読書についての話に戻るが、ひとつ読み終えた後、本棚の森の中から今最も自分に合った一作を選び出すのが、苦労の時間でもあり、至福の時間でもある。

そのような逡巡の中、以前漸く選びだしたレモン・ラディゲの小説「肉体の悪魔」のはじまりに、年長の親友で詩人ジャン・コクトーが、レモンについて言葉少なく愛深く、散文詩をしたためている。

コクトーがレモンに寄せる感情は、
きっと「愛」なのであろう。

文庫でたった2ページのこの芸術品とも思える散文詩から、若くして天に召されたレモンとコクトーとの出逢いと別れまでが、想像力という画で感じ取れるようになっている。

と同時にレモンに対する愛情に限りなく近いコクトーの沈痛な想いが、詩に乗って脈々と表れている。
多分これは愛なんだろうなと、ひしひしと感じるのである。

以前、三島由紀夫の「ラディゲの死」を読んでいるから、ひときわその感情を肌に感じるのである。

「ラディゲの死」については、また別途綴りたいと思う。


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