自分の演奏を録音してわかったこと

今回は録音について。
気持ちよく弾いたものを録音して聞いてみると、こんなひどい演奏だったのかと落ち込むことが多々ある。
でも、演奏を聴いてくれている人の耳に届いているのは、そのひどい演奏だ。

最近僕は、自分の演奏を録音している。
前から録音するのがいいことはわかってはいたけど、自分の下手さに打ちのめされるので、ずっと避けてきた。
でも、今年ある発表会に出演したことを機に、人様に聞いてもらう以上、少しでも良い演奏をしたいと思い、録音することに決めた。

自分ではちゃんと弾いていたつもりなのに

録音してみると、意外なことに気づいた。
自分で「失敗したな」と思うところは、当然、録音でも失敗しているのだけれど、自分では「ちゃんと弾けている」、「我ながらなんてきれいな音だろう」と思っていたところが、音程がずれていたり、リズムがおかしかったりして、聞けたもんじゃなかったということだ。
これはかなり落ち込んだ。

弾いているときには全くそんな風には感じなかったのに、なぜだろう。録音の機材が悪いのだろうか。
そう思いながらも、とにかく、録音をもとに、楽譜に注意事項を書き込み、そこを意識して練習をするようにした。
すると、次に録音したときは、ちゃんと改善できた。

録音してみて気づいたこと

僕の場合、これまで録音をしてみて、自分では弾けているつもりなのに、聞いてみるとおかしいと思ったところは、だいたい次の3つだ。そして、その原因についてもそれぞれ考えてみた。するとひとつの共通点が見えてきた。

1、ピッチ

正しいピッチで演奏することは、永遠の課題といってもよいが、問題は、何回弾いても同じところで外すケースだ。
弾いているときは正しいピッチだと思って弾いているのに、録音で聞いてみると毎回ずれている。何か気持ち悪い。
そういうところは、だいたい決まって、拡大ポジションや、ハイポジションなど、僕が苦手意識のあるポジションであることが多い。

その原因はなんだろう。
これは僕の経験測だが、技術的に苦手意識がある所を弾くときは、脳が技術に意識を向けてしまい、「手の形を正しくしよう」「指の位置を正しく抑えよう」と手や指に意識が向いてしまって、耳の方には神経が回らず、正しいピッチかどうかの判断がゆるくなっている気がする。

脳は同時に複数のことを処理するのは苦手と聞く。
手を動かすことに必死になって、耳で音を聞くという行為が無意識におろそかにされているのではないだろうか。
また、手や指を意識してしまうと、体がかたくなり、指の形もおかしくなりピッチをはずしやすいということもいえるだろう。

2、テンポ

次に多いのが、テンポがはやくなってしまうところ。
テンポがはやくなっている場所も、難しい箇所で、練習不足の箇所が多い。
早いパッセ―ジや、複雑なリズムなどで、ピッチと同様に意識が技術的に正しく弾くことに向いてしまう。
そして無意識にまわりの音が遮断され、微妙なズレのうちは気づかないが、ズレが次第に大きくなって初めておかしいことに気づく、というのが僕の実感。

もうひとつテンポが乱れるところがある。フレーズのおわりや、アウフタクトなどの八分音符や十六分音符などの細かい音符がつまったようになってしまう。これは技術的には簡単なところが多い。
技術的には意識する必要はないのになぜだろうか。
これは、簡単であるが故に、適当になってしまい、リズムが甘くなってしまうと考えられる。

3、フレージング

3つめに、フレーズのおわりが、本来ならすぼめるように終わるべきところを、そのままの音量で、あるいは大きな音量弾いてしまう。これはフレーズが意識できていない場合もあるが、フレーズの次が、技術的に難しい場合が多い。次の部分に意識がいってしまい、フレーズのおわりが力んでしまい、雑になる。
だからフレーズの次の部分の練習をしっかり行うことが必要だ。

脳の特性を理解して練習することの重要性

ここまでまとめてみると、技術的なところに意識が向かっているうちは、良い演奏にはならないし、上達もしないということだ。
技術的なところに意識が向かった瞬間、人間の脳は、自分の出している音を正しく把握できなくなる。だから、自分でもおかしいということに気づけない。
だから、録音してみて初めておかしいことに気づく。

ポジションごとの指の形や、フィンガリングの運び、ボウイングなど、技術的な部分はとことん仕上げて、無意識でも体が動く、体が覚えている状態を目指さなければならない。

たとえばnoteの記事を書くことに集中しているときは、記事を入力している手は、無意識にキーボードの上を動いているが、そのことで記事の内容に意識が集中できる。
もしも、キーボード入力に慣れていなければ、キーボードを操作することで精いっぱいで、記事の内容をどうするかまでは意識がまわらないだろう。

楽器も、こういう人間の脳や感覚の特性を理解しなければ、自分ではいい演奏だと感じていも、録音すると聞けたものではない演奏だったりするのだろう。
そして、その録音した演奏こそが、人が聞いている演奏だ。
やっぱり録音はすべきだと改めて思った。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?