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誰かのために生きるとか

その日の夜は風が強かった。お昼の土砂降りの雨の冷たさが夜の風に乗せてより一層寒さが身に染みる夜だった。火照った私の顔を冷やすように吹き付ける風に寂しさとほんの少し心地良さを感じた。私は近くのタクシー乗り場までパジャマのまま駆けていき、すみません!!乗れますか?と一服しているドライバーに声をかけるとコクっと頷き靴底で吸いかけのタバコを踏み潰した。運転席でシートベルトを締めるドライバーに○○町までと言うと久しぶりだなぁと車を走らせた。0:20急に母から電話がかかってきた。電話越しの母は息が荒く朦朧とした状態で、こっちへ来て欲しいと確かに言った。サーっと血の気が引き、心臓だけがバクバクと脈打つ身体になる中私の言動は驚くほど冷静なものだった。電話を繋げたままバックに必要なものだけ入れ家を飛び出した。救急車だけは呼んで欲しくないと懇願する母に聞ける範囲で今ある症状だけを確認してとにかくそこに待機するように指示した。すごいスピードで走るタクシーの中で、落ち着いている自分を少し離れたところから眺めていた。ものすごいストレスを感じた時、身体から心が抜け出すことがある。大体無になり何も出来ないのだが、昔1度だけ憑依したことがあった。その時の私は狂ったように1日中絵と文字を描き続けていた。その時かいた絵は私のものでは無かったし、描き続けていた文字も誰かからの私へのメッセージのようなものだった。あの時の私はまるで知らない人のようだと母にあとから聞いた。そして、今の私は冷静な人格に身体を乗っ取られている。”月がでてる”というドライバーの言葉に窓に目を向け”本当ですね、月かさも見えて綺麗ですね”と微笑んでいるのが気持ち悪い。でも、今私が戻ることは許されない。私がしっかりしないと、、。本当はきっと憑依されても、身体も乗っ取られていなくて本来の感情とは違うところで意識が動いてるからこんなことになってるだけなんだと思う。でも、あの時の感覚を言語化する時に体を乗っ取られる、憑依されるという表現が1番近いのでどうか許して欲しい、、。実家に着いた私は玄関に手をかけ鍵がかかっていることを確認し、それを知っていたかのように裏庭に回って鍵のかけ忘れがよくある窓を開け部屋にはいりこんだ。母の息を確認して、引き出しから1万円を取りだしタクシーのドライバーの元へ向かう。その時の私は早歩きだったものの走ることはしなかったし、1万円を渡してからもドライバーと少し世間話もしていた。そんな私を遠くから見ながら軽蔑し罵っていた。それから母の元へ布団と洗面器と飲料水を持ってきて今日はここで寝るように促した。吐き気を催した母は癖でトイレに向かおうとするので母の近くに洗面器を持っていき、ここへ吐くんだよと背中をさすった。それから、リビングで横になりながら何度も嘔吐する母を見ながらなぜかヨーグルトを食べていた。食べ終えた私は部屋に向かうと何事も無かったかのようにすぐに眠りについた。朝日の光で目覚ましより早く起きた私は、リビングへと向かった。廊下であった母と体育座りをしながら色んな話をした。ありがとうねと渡された洗われた洗面器を見るとそれは昔私が嘔吐した時に使っていた洗面器だった。知らず知らずのうちに母が私にしていてくれたことをしていたのだと思ったら身体を取り戻した私はほんの少し泣きそうになった。昔、母の祖父が亡くなった時なぜか泣けなくて祖父の隣でただひたすら文章を書いていたと言っていたがその気持ちが今痛いほどわかる。だって今、寝ている母の隣で私はこの文書を書くことを止められない。泣き虫ですぐにパニックになる私が慌てるどころか涙すら流していない。なんとなく、母の話していた話と今の私を重ねて不謹慎な母の終わりを想像してみた。その時にかける言葉は大丈夫だよなきがする。心配性な母にかける言葉はきっと大丈夫であるべきだし、私もそう言える人間でいるべきだ。今の私は大丈夫と言える?大丈夫と言っても心配されない?誰かのために人生を決めるなんてことはしたくないし、多分しない。でも、そういう人たちの気持ちが初めてほんの少しわかった気がする。私は私のやり方であなたを安心させたい、大丈夫だと心の底から言えるように強くなりたい。少しずつ、ゆっくりなんだろうけどあたし頑張るね。

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