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祈り、たとえ届かなくとも

目を閉じて、誰かの不幸を考える。
目を閉じて、誰かの苦しみを考える。

考えるだけで感じることは出来ない。けれども、彼らとは違う悲しみが違う苦しみが私の中で泣いている。とても弱い人間だ。弱すぎて、NEWSが常に流れ続けているリビングにいるだけで謎の高熱を出してしまった。次の日には少し熱は治まったがまたリビングに行くと熱が上がる。こんな時、無知は罪だという言葉が私を強く責める。目を逸らすな、現実を見ろと言われているようでNEWSを見るけれど私に出来ることはないもない。溢れる情報、色んな人の感情、怖いねと言う家族もその何分後には何事も無かったかのようにご飯を食べて美味しいねなんて話をしたりする。そんな家族に虚しさを覚えるが、私は家族にどういう反応をして欲しいのかよく分からない。なにも無関係な私が心を痛めたって何にもならないとは分かっているけれど、私はNEWSを見る度にとても心が苦しくなってしまう。みんなは言う、新年早々と。それを聞く度に、令和のはじめを思い出す。あの時だって、みんなは令和になっていい事がないと口を揃えて言い出した。そんな風に言う友人に、私は今日あなたと会えてよかったと言い出せずにいた。大きな不幸のせいで小さな幸せを蔑ろにされるのが悲しかった。2024年もそうなりそうで、とても怖い。だから、私は必要最低限以外の情報はシャットダウンするため、いま1人の家に帰ってきた。少しの合間私は情報を遮断する。そして、心に余裕のある時にまたNEWSを見るかもしれない。その時はまた胸が痛むかもしれない、悲しむ時は悲しんでもいい。それでも私の小さな幸せは絶対に蔑ろにしない。友人のThreadsで"暦の都合で数字が変わっただけなので"と書いてあった言葉になんだか救われた。だからこれから先、新年早々と言われたらその言葉を引用させてもらおうと思っている。世界は時に残酷、けれど私は祈り続ける。目の前の誰かが悲しみに暮れていたら私は寄り添い続ける。だから、どうか光を見失わないで。これから先の未来に怯えないで。

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