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愛された記憶と都市高の光

愛されていた記憶というものを思い返す時、後部座席から見上げた夜を思い出す。盗み食いしたカレイの骨が喉に詰まった5歳、高熱に襲われた7歳、嘔吐が止まらなかった9歳、私はいつも後部座席に寝転がって消えては現れる街頭を眺めていた。時々は誰かの膝の上で、時々はお気に入りのぬいぐるみと一緒に愛をかみ締めていた。このまま死ぬんじゃないかという恐怖にかけられる優しい言葉や温もりは見上げた窓の景色のように私を優しく包んでくれた。「もうすぐ○○ちゃんちでしょ?」と力なく呟いた言葉にそうよと返事してくれる運転席の母。見慣れた景色も、見上げると知らない町へと変わっていく。ずっと見ていると知らない国へ連れてかれてるんじゃないのか?と不安に駆られ時々は起き上がり、いつもの車窓の景色に安堵を求めていた。喉の鋭い痛み、洗面器に吐いた自分の吐瀉物の匂い、最悪な状況なのに後部座席に寝転ぶ私は少し笑っていた。愛された先に辿り着くのは教会のような病院。綺麗なステンドグラスに、至る所にある聖マリア像。長い待ち時間、私は誰かの膝の上で誰かに頭を撫でながら綺麗なステンドグラスを見ながら浅い眠りにつく。そして、目覚めた瞳に映ったのは都市高のキラキラした光。都市高の街頭は眩しさは思い出の副作用とよく似ている。「都市高ってなんでこんなキラキラしてんだろ。」ぼそっと呟いた私の声は話し声とユーロビートにかき消された。せっかくのノスタルジアもユーロビートじゃ台無しだ、音楽を流してる携帯を奪って次は私の曲ねとGalileo Galileiのボニーとクライドを流した。なにこれと言う友達を無視して歌うだいすきな曲。あーあ、蜂の巣になってもいいから私だってクライドと旅にでたい。都市高の光が見たいという私のわがままで急遽車を走らせて、ついでに流行ってるシャイニースターVというポケモンカードを見つけに行くらしい。正直、私はポケモンカードに興味はなくて後部座席から見上げる景色が見たいからいつもついて行ってるだけ。こんな小学生の夏休みみたいな日々いつまで続くんだろうなんて言ったら今は冬だろとつっこまれた。夏になったら虫取りに行こうねと言った私の言葉には誰も返事してくれなくて結局その約束も叶わずに次の年夏が来た。今は私のわがままで車を走らせてくれる人はもう居なくて後部座席に寝っ転がることも出来ない。Galileo Galileiは復活したけど、私の後部座席の日々が復活することはどうやら難しいらしい。それがなんだか悔しくて、地元に帰ってきた夜、駅まで迎えに来てくれた母の車の後部座席に寝転んでみた。そんな私の姿に「なにやってんの?」と不審がる母の声。「小さい頃、カレイの骨詰まらせて病院行ったの覚えてる?」と聞くと「覚えてるよ」と素っ気ない返事。「今ね、私はカレイの骨を詰まらせた5歳なの。」そういう私に意味がわからんとだけ言って私の懐かしい家まで車を走らせる。田んぼしかない私の地元の空は街頭がほとんど無くて、代わりにあのころ見えなかった星が見える。私は確かに愛されていた、愛されていました。理由なんて聞かず、そっと誰かに抱きしめられたかった夜。

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