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情報が錯綜する時代に哲学が教えてくれること(Vol.1)

人の流動性が高まったことのみならずインターネット、SNSを介して日常的に世界中と交流することができる世の中になっている。
加えて、多様性が尊重され、様々な意見が自由に行き交う状況にもなった。

そんな日常の中で、「いったい何が正しいのか?」「何を信じればいいのか?」と感じることはないだろうか?

僕はよく感じる。

「それは事実なのか?」
「それともその人の解釈なのか?」

特に、偉い人や経験豊富な人が言うことは、何の迷いもなく信じてしまいがちだが、その人の生まれ育った環境や立場、付き合う人、入ってくる情報によって同じ物事を見ていても感じ方や考え方は大きく変わってくることも多い。

例えば、これまでは一般企業に入社してそのまま定年退職まで勤め上げ、その後はのんびり年金で過ごすといった生き方が一般的だったし、会社で経験豊富な先輩たちは長年そのような世界で生きているから、当然ながらその経験の範囲での考え方にもとづいた話になる。
しかし、個人事業主として会社に依存しないキャリアを歩んでいる人や、若い人たちは、考え方、生き方がそもそも違う。一般企業で勤め上げることが成功だとも思っていないことも多い。

「いったい何が正しいのか?」

正解は見つからないかもしれないし、ないのかもしれない。
おそらく、自分の考え方を持ち、進む道を自ら正解にしていくことが必要なのだろう。

そういった一つの正解が見いだせない時に大切なことは、「真理は何か?」だと考える。
*真理:ほんとうのこと、まことの道理(広辞苑)

他人の解釈ではなく「真理は何か?」を見極めることが必要だろう。
そのうえで、「自分はその真理に対してどう思うか?」を考えて行動すること。

「真理は何か?」を見極めるときに、時空を超えて現代の人々にも届けられている哲学、特に近代哲学はとても有効だ。

古代ギリシアのアテネで端を発した哲学は、ローマ帝国によってギリシアが支配された後、衰退していった。
その後、中世ヨーロッパではキリスト教を中心とした考え方が主になり、哲学も含め多くはキリスト教に影響されるものとなった。

しかし、その後、カトリック教の勢力が衰えてきた時に、神様中心から人間中心の文化にシフトしてルネサンスが起こった。
そうすると様々な思想、文学、文化、芸術などの情報が錯綜することになり、人々が描く世界観が揺らいできた。
「いったい何が正しいのか?」「何を信じればよいのか?」と、
混乱する状態に陥っていた。

まさに今の時代にも似たような状況だと思う。

中世では、「結局は本当のことは分からない」という懐疑論が出てきて混とんとしていたが、その風穴を開け、「真理は何か?」という問いに答えようとした哲学者が、ルネ・デカルトやフランシス・ベーコンだ。

彼らは真理を見出すため、いったい何を考え、何を社会に提案したのか。

そして、彼らの哲学は今の時代を生きる僕たちに何を与えてくれたのか。

次回、そのあたりに触れていきたいと思う。

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