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自分の危険性を発見した瞬間

 こんにちは、Bodayboと申します。数日ぶりの更新になりますが、やはり毎日何かしらを書いていないと頭が動かなくなってダメですね。年末のお笑い特番に集中力を吸い取られる毎日ですが、なんとか生きています。

 先日、池袋新文芸坐にて「悪魔のいけにえ」が上映されるイベントがありました。ラストのレザーフェイスがチェーンソーを片手に暴れるシーンをスクリーンで観られる、それだけでこの忙しい年末の時間を削ってまでわざわざ名画座まで通う価値はある訳でして。暇人、というよりは変人、の方が正しいのかもしれませんが・・・

 名画座は、基本的にチケットを一枚購入すれば二本鑑賞することが出来ます。今回の相方はジョージ・A・ロメロの「ゾンビ」という映画でこれまた新鮮で面白かったですね。
 冒頭ではゾンビが一切画面に現れず、主人公らはテレビの報道部として感染しきった街の惨状を「安全圏」から語ることで、現場の状況を私達観客に想像させるという、いかにも小説的な演出がとても新鮮でした。
 映画は受動的で小説は能動的、と揶揄する言葉がありますが、本作はそれをものの数十分で否定している訳です。

 ヒッチコックは、人々が恐怖映画を求める理由として「安全圏を確かめることが出来るから」と答えました。上映が終了しライトが点けば、あぁ怖かったと一息つくことが出来るからです。
 そういった点で「ゾンビ」は演者を観客の置かれている状態と一致させることで、距離感を縮めエモーションを引き出している訳です。後半はB級のお笑いっぽさもあったりととても面白かったですね。

 そして始まったのが、「悪魔のいけにえ」
冒頭の夕日をバックに墓に括り付けられた死体をアップから引いていくシーンでは、決してテレビから発せられることのなかった美しいオレンジの光がスクリーンに滲みこんでいて、あぁ、本当に来て良かったと上映三分で感慨にふける私。

 私が内なる危険性に気が付いたのは、最後の一人となった女が殺人一家の伯父に指をしゃぶられ泣き叫び、美しいグリーンアイズがアップで何度も交差し、館内に悲鳴が反響するシーンでした。何故かはわかりませんけど、煮えたぎるマグマのように胸が熱くなり勃起が収まらなくなったんですよ。

 別に私はちょっとコミックLOが好きな程度で、そういった乱暴で奇怪な趣味はないとは思っていたのですが、確かに殺人鬼を前に喚き散らす女を前に満面の笑みを浮かべて興奮していることは確かで、こういうのって自覚しておいた方が良いよな、と感じました。

 私の3つ左の席に座っていたおっさんが、終始鼻をすするふりで隠しながらケタケタと笑っていたんですよ。初めは雰囲気をぶち壊しやがって迷惑な野郎だ、と邪魔でしかなかったのが、一人目の女が骨で溢れた部屋に迷い込んだ辺りからつられて段々自分の顔にも笑みが零れ、チェーンソー片手にレザーフェイスが疾走するシーンなんかは笑いを堪えるのに必死でしたよ。右に座っていた方、ここで謝罪します。本当に申し訳ない。

 どうやら私には乱暴をしたがっている内なる怪物が住み着いているようで、それもただ犯してやりたいだとか、そういったものではなくて・・・とにかく、それがなんであれ、個人差はあれど誰にでも潜んでいると思うんですよね、そういった魔物は。
 私の場合はそれが「悪魔のいけにえ」によく似た何からしい、と前もって自覚することが出来たので、本当に幸運でしたね。別に好きでも何でもない趣味嗜好がトリガーだったなんて、自分でも驚きましたし、多分みんなそんなもんなんじゃないかな。知りませんけど。

 そんな興奮覚めやらぬまま突入した、ラストシーン。私はこの獲物を取り逃がして悔しそうに、まるで玩具を取り上げられた赤ん坊のように暴れまわるレザーフェイスと、ざまぁみろと言わんばかりにトラックの荷台からあざ笑う女の構図が本当に大好きで、やっぱり冒頭と同じくレザーフェイスのバックに映える夕日の滲んだ色は本当に美しくて、でもその時間はほんの数十秒のシーンで、今日この時を過ぎてしまったらもう当分劇場では鑑賞することが出来ないのか、と考えると哀しくなってしまう。
 エンドロールの音楽も最後の高い音がピタっと止んだと思えば場内を2、3秒駆け巡っていて胸に響いてくる。とても有意義な年末を過ごすことができました。

 先日プレイしたゲーム「lain」の開発陣へのインタビューで「自分の危険性を知る、知っているからこそ踏みとどまれる」といった記事がありましたが、まさかその日がこんなに早く訪れるとは思ってもみなかったですね。
 そんな訳で、何気ない日常にもいろんなことが潜んでいるから観察は芸術の基礎だよ~って教えは本当だったんだ!と、無駄な知識なんてないのかもしれないなぁって感じた年末でした。みなさん、よいお年を!


冴えないオタクに幸を