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【わが家の発達障害】②毒親・毒子かもしれない

本日のトップ画像は、emicaさんから拝借しております。https://note.com/emica_s


優しくされたり突き放されたり。激怒されたり感謝されたり。持ち上げられたと思ったら叩き落される。それの繰り返し…DVやツンデレと同じスパイラル。

もちろん、私がダメ母だったところもあるけど、それでも精いっぱいやってきたと思います。

娘の対応には、本当に気を使ってきました。

私に連絡がくるのは、お金が必要な時、親の承諾が必要な時。


娘は、典型的な多動性障がい、ADHD。

「自分勝手」という言葉で言い表せないくらいのサイコパス。しかも、家族にだけ。

外面は、ビックリするくらい優等生。

私より分かりやすい発達障害ブリかも知れない…


娘は、生後2日目で首を持ち上げ、2ヵ月で寝返り、7ヵ月で歩き、10ヵ月でしゃべり始め、1歳のお誕生日を過ぎた頃には、走り回り過ぎて捻挫していました。

2歳の頃には車道の真ん中を歩き、3歳では5mくらいあるマンションの壁を電柱つたいに登って、降りれなくなって…

近所のママ友が血相変えて私を呼びに来たけど、私にとってはいつものこと。慌てることなく電柱に登って、サルの親子みたいに背中につかまらせて降りてきたっけ。

こんな調子なので、幼稚園の3年保育なんかに通わせたら、モンスターママたちの餌食になるに決まっています。

20数年前は、発達障がいなんて言葉を知っている人はほとんどいなくて、学校の先生も知らなくて、本当に一人ぼっちでずっとずっと悩んでいました。

元旦那は、「子どもやねんから、こんなもんやろ」の一点張り。

だから、幼稚園は1年だけ通わせることにして、娘の特性を理解することに集中し、家庭教育を大切に行ってきました。


小学校に入学して数か月はお利口にしていました。そろそろかな、と思ったころ、事件は起こりました。

娘が、下校途中の道端で、マッチを擦って火をつけて遊んでいる所を地域の人が見つけて学校に通報…

当然、呼び出しです。

私は、娘と帰宅してから、台所に火をつけました。

カーテンが燃えています。冷蔵庫の端っこが解け始めています。

娘が「やめて!お願い!」と叫びます。

私は顔色ひとつ変えずに、水をかけて火を消しました。

その時の心境…

「これでこの子が過ちに気づいておとなしくなってくれるなら、一部屋くらい燃えてもいい」

振り返ってみたら、正気の沙汰ではありませんね…


娘の多動がおさまらず、体操教室に入れました。

これが功を奏して選手コースに推薦され、初めての大会で入賞です!

娘も、得意なことができて、自信をもって生活することができていたと思います。

でも、友だちと遊びたい気持ちが高まってきて、4年間で辞めてしまいました。そこから、人間不信になるような出来事を経験し、思春期情緒不安症を併発して、だんだん笑わなくなり…


中学校に入学して間もなく、ひどいイジメにあって娘が不登校になりました。離婚してからも近くに住んでいた元旦那は、娘をふびんに思ってパソコンを買い与え、夜更かしを容認し、自分の家に囲うようになりました。

そこから、私と娘の関係が崩れ始めました。


お父さん=優しい、なんでもいうことを聞いてくれる、自由にさせてくれる

お母さん=厳しい、口うるさい、ルールが多い

恐らくこうなったのだろうと思います。


今だから分かること。

発達障害や、機能不全家庭は、本人の気づきと家族の協力がなければ改善の見込みはない。


元旦那の責任にするのもどうかと思うけど、可愛いさ余って本質を見ようとしなかったから、それ以上のことは口にできなかったし、娘の発達障害に向き合うこともできなかった。

というか、元旦那も機能不全家庭に育っていたから。


戦後、物がない時代に商売を始め、みるみるうちに大阪では業界一大きな会社になり、そこの御曹司と言われた元旦那。

親に怒られたことは一度もなく、家族と顔を合わせることなく自分の部屋に入れるくらい大きな家だったらしいです。

(私が結婚した時は、天国から地獄を見て、そこからようやく抜け出した時だったようです。)

そんな暮らしが成人してからも続いていた元旦那には、しつけやマナーやルールなんて存在しなくて、人の話は聞かないし、私の言ってることなんかは宇宙語に聞こえたのかも?


発達障害の子育てを1人でがんばっても限界があります。だから、娘は自分の発達障害のことを知りません。



疲れたな。もう、いっか…。


そう思えた時から「毒子」の存在を認められるようになりました。

実際は、毒親も毒子も受取り手の自由なので、「毒」という表現は良くないかも知れません。それに、どちらも自分がそうしたかったわけではなく、やっぱりお手本があったのだと思います。


発達障がいがどれほど辛いか、私はよく分かっています。

だから、娘のことを思って、良かれと思って、そうじゃないよ!こうだよ!と伝えてきました。


でも、私にとって母が「毒親」だったように、娘にとって私は「毒親」。

そういうことなのだと思います。


うちの「毒親・毒子」は、発達障がいと機能不全家庭が大きく影響しています。

私が欠陥人間だったので、母の毒親ぶりは、今思えば分かりやすかったです。

幼稚園児の私に脳波の検査や鍼灸を頻繁に受けさせた

幼稚園のお受験組の影響を受けてドリルを買ってきた

忘れ物の対処として、準備を教えるのではなく、恥をかかせることに重きを置いた

触れられたくない話をいつも直球で尋ねてきた

懇談の帰り道にビンタされた

受験直前に「あんた絶対落ちるわ」と言ってきた

母が間違ったことをしても絶対に謝らなかった

私が二十歳まで母が気に入る服を着せられた

門限21時、デートは月2回まで

社会人になっても結婚しても、店の手伝いは暗黙のルール

一人暮らしを決めた時「私を置いていくの?!」と泣きわめいて阻止した

私が結婚してから私への暴言がエスカレートした

新婚当初、毎日新居を訪ねてきた


ここまでは全部受け止めてきました。

でも、自分に子どもができて、母と同じ立場になった時、

「あれ?なんかおかしくない?」

って気が付きました。


お母さん…そっか。


また書きます。








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