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不確かな「インスタレーション」①

 「関西の80年代」展開催に伴って、現代美術で使われる「インスタレーション」という言葉について、作者の立場から少しづつ文言にしていかなければいけないかと思う。

「インスタレーション」作品は、形式の持つ内容について論ぜられることが殆どなかったと言える。大まかに「空間を使って体験する」形式名として定着している。一般的な展示との違いを考えれば、重要なことは、展示する環境に対して発想を密接に関連づけることによって構想し、全体と細部にまたがる芸術的空間としての場を提示することだ。

"installation" は ”install” の名詞である。
美術の現場で直訳してしまえば「架設的な設置」となり、「一過性の」という意味を含んでいる。

 どのような作品であれ、美術館の展覧会で展示することは、展覧会期が限られており、一過性のものである。そういう意味で、展示は全て ”installation"になる。そこでは現代的な作品に限らず、伝統的な形態の絵画、彫刻、工芸、古美術、書などジャンルは問わない。だから、どのような展覧会でも会場の記録写真は、一般的に”installation view"と記載される。

 ならば、現代美術で「インスタレーション」とされる作品はどのようなものなのか。1960〜70年前後から始まった、美術の実験的な拡張に伴って、"mixed media" が自然と現れる。"mixed media"とは、いくつもの種類の素材や技法を一つの作品の中に同居させる方法である。実験的な美術は「設置」に対しては、無頓着なものが多かったが、ある一定の期間だけ空間を作品化することの始まりであった。
 そこでは、ハプニングやパフォーマンス、音や光と、使えるものは何でもかんでも放り込み、起承転結のない世界を「一定の期間、ある場所で」提供した。観客が目の前のただ一点に、うっとりすることを拒む空間であり、観客は顰めっ面をするか、わからないものに慄くか、とにかく親しみやすいものではなかった。かたや現在の「インスタレーション」作品は、観客との親和性に重点を置くことが可能になっている。観客との親和性と場の意味合いが時代と共に変化したことに着目すると、「インスタレーション」の経緯を辿ることができるだろう。

 話の基本に戻らなくてはいけない。
私は中心から離れていく傾向にある。これも「インスタレーション」の特徴とも言える。

 続く

©松井智惠   2022年6月10日 筆

 


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