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どうしても本に書き込めない

読書をする時に、大事なところに線を引いたり、
メモを書き込んだりする人は多いかもしれない。
そういう学習方法をおすすめしている方もいる。

でも、私は本に書き込むことがどうしてもできない。
友人にも本に直接メモしておくといいと言われたが、
どうしてもできない。
この本に書き込めない気持ちというのは、
どういうことなのかに向き合ってみたことがある。

大人になってから書き込むことに挑戦した。
新しい本を買ってきて、
最初は消せるようにしたほうがいいだろうと
シャープペンシルを手に持ち、
大事な箇所と思う場所にそっと線を引いてみた。

ダメだった。違和感。何か違う。
そこから本を読み進められなくなった。
引いた線をすぐに消しごむで消した。
印刷された文字が少し薄くなったのが悲しかった。

最初に、これは小さい時の習慣が
おそらく影響しているのだろうと考えた。
私は若い夫婦の子どもで、三人兄弟だった。
三人の子どもを育てるのはとても大変だ。
それは子どもながらにもわかっていた。

新しく何かを買ったときは、大事に使って
弟や妹にきれいな状態で譲っていくようにしていた。
丁寧にページをめくり、折れ曲がらないように
そっと本棚に戻すようにしていた。

自分だけしか使わないとわかっている教科書には、
そこに使われている写真画像にちょっといたずらな
書き込みをしたり、テストに出ると言われたら
マークをつけたりしていたのに、
家に置いてある本にはできなかった。

だから、本を読むときにはいつも傍にノートがあった。
今は、ノートだけでなく、スマートフォンやパソコンがある。
大事だと思ったことはそうした別の道具を使い、
メモを取るようにしている。そういう習慣がある。

図書館で本を借りた時、本に線が引かれていたことがある。
子どもの頃、最初にこの本にあたったとき、
私はかなりびっくりした。
皆で共有するものに線を引いちゃうのかと。

中古の本を買った時に、線を引いたり、
メモが書かれた本にあたったことがある。
これもちょっと驚いた。
驚くとともに、これからまっさらな気持ちで
本と向き合って挑んでいこうとしていたけれど、
先に答えを言われてしまったような
そんな残念な気持ちになった。

そうか。それだ。

本をきれいな状態にしておきたい理由は、
本と向き合って、自分が最初に本から
見つけ出すという楽しみを、弟や妹から
奪わないようにと思っていたのかもしれない。

本との向き合い方はいろいろだ。
三つ子の魂百までというか、
そうやって本を読んできた私は、
これからも本には書き込みができないだろう。
今は兄弟に本を譲るわけでもないのに
やっぱり書き込めないのだから。

でも、それが私の本との向き合い方なのだろう。
よいか、悪いかではなくて、
そういうスタイルなのだ。

今日も私の本棚には、
書き込みのない本が並んでいる。


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