最新の研究でわかった成功の秘訣を探すあなたに
少し前の放送番組になるが「カルテット」というドラマをご存知だろうか。
恋愛モノだから…と思って食わず嫌いならぬ、見ず嫌いをしていたのだがふと先日見てみるとこれがなかなかいい。
見たことある方は同意してもらえると思うが、唸ってしまうセリフが満載なのだ。
その中でも松たか子演じるメインキャラクターが嘘つきなんじゃないかと敵役に探られて、それを反撃した言葉が特に印象深いので紹介する。
敵役のセリフ「7割本当だったら、3割ウソでも、本当ってことじゃないですか?」に対して
それ言ったら、人間は7割水だよ?
人間、水?
わたしはこれを聞いてこの文章を書こうと思いついた。
というのも・・・
大体…そう。
ほぼ…そう。
高い確率で…。
数字や権威を使ってこのように私達を納得させようとしてくる人たちがたくさんいるからだ。
そのような言葉を安易に信用してはいけない、
加えて、より注意すべきなのは、それらを鵜呑みにして、特定の分野や世界についてわかった気になってしまうことだと思う。
なぜなら先ほどのセリフのように数字やデータがあると「何となく正しいように思えてしまう」からで、それを鵜呑みにしてしまうと「人間は水みたいなもんだよね」という誤った認識で人生を生きることになるからだ。
どれだけ新しいことを学んでも、全てのものが「人間=水」のように単純化され、そのような認識をもとに下した決断が全て何となく常識や事実からずれていく恐れがある。
書籍においても同じである。
「成功者に共通しているのは○○」「仕事ができる人は~~」
こういった内容の書籍はたくさん出版されている。
しかし、上辺だけをマネしたら成功できるの?
とか
仕事ができる人はそもそも頭がいいから~~してるんじゃないの?
といった疑問は投げかけられない。
つまり、書籍の中で「因果関係」や「相関関係」といったことには触れられないわけだ。
例えば「成功するスポーツ選手はやせている」というデータがあると仮定しよう。
このデータをもとにしてあるスポーツチームの監督が言った。
このチームの選手たちはみんな国内の平均より体重が大きいのでダイエットをした方がいい!
さぁ、この主張についてどう思われますか?なんだか正しいそうだけど・・・。
わたしの想定するオチはこうである。
そのチームはバスケットボールのチームだった。
平均身長も高いため平均体重も重くなるのは当たり前、ですよね。
著者や編集者はそのような疑問など持たないように工夫して本を作り、読み切った読者にいい本だったと高評価のレビューをしてほしいのだ。
われわれはそのような情報を鵜呑みして、100%大丈夫というような傲慢さをそもそも持つべきではないのである。
さてここでこの記事の結論を述べよう。
わたしが考えていること、この記事で言いたいことは「世界はもっと複雑」であるということだ。
つまり、現代は「あなたはA型だから几帳面なんでしょ」といったような単純な世界ではないのだ。
あなたとわたしの顔は違う。
当然だ。
肌の色。髪の生え方。頬、アゴの作り・・・。様々なものが違うからだ。
ではその差を生み出す遺伝子に違いはどれくらいあるのか。
全然見た目の違う人を連れてきたとしても、あなたとその人とは99.9%以上の遺伝子は同じであると言われている。
つまり、我々人類は0.1%以下の遺伝子の違いで世界中にこれだけの多様性を生んでいるのだ。
あなたの好きな人も、嫌いなあの人も、「ほぼ同じ」遺伝子で出来ている。
ほんの少しの差が大きな違いを生み出しているのだ。
数字、統計解析や確率など、データとして正しさの一端は担うものだろう。
しかし、世界や人生、歴史などそれらを理解して、自分がその教訓を生かすことが可能と思うなど傲慢といえると思う(ましてやYouTubeに転がっているほとんどの動画など笑い草だ)。
さらに困ったことに、そのような理解しやすい、尚且つ簡潔すぎる情報がサジェストされてしまうのである。
それらを見て、分かった気にならないでほしい。
どの分野もその動画ほど簡単ではないしそれがその分野の全てではない。
例え、99%本当のことを話している動画があったとしても残りの1%を我慢して飲み込む必要はない。
その1%があなたの人生に「大失敗」を招くようなウソや間違いだったとしても、誰も責任などとってくれない。
なぜなら、世界は数%のような微かな違いから大きな差を生み出しているからだ。
「大失敗」してしまった誰かは怠慢だの無能だの自業自得だの、レッテルを貼られるかもしれない。しかし、その原因はその人はたまたま見逃して、ある人はたまたま見逃さなかっただけのような小さな誤りだったのかもしれない。
先ほどの成功・失敗の話に戻ろう。
多くの書籍にあるような成功者に共通していたことをマネて、彼らの90%いや99%まで近づけたとしよう。
では、ここまで真似れば自分も成功間違いなし、と思うだろうか。
ご察しのとおり、それでも成功できない人はいる。
しかし、その人たちのやり方がまずかったわけでも、努力が足りなかったわけでもない。もはやそこまで努力していたのであれば、やってきたことの1%以下のことが成功となるか不発に終わるかを決めていると考える方が腑に落ちる。
それはエジソンのいう「1%のひらめき」のようなものであるのかもしれないし、「神は細部に宿る」とも表現できるかもしれないし、我々が「運」と呼ぶものなのかもしれない。
(エジソンは他の人の発明やアイディアを買い取り、自身のものとして発表していたのであるが、まあそれは置いておいて)
われわれはこうした方がいいとか、具体的なアドバイスを求める。
そして、その通りにする。
おそらく簡単に今すぐ安心したい。
というより、簡単に早く不安を消したいのだろう。
しかし、正解などこの世にはない。
生きている限り、常に不安がある。
誰かが言った「正解のようなもの」に飛びついて、不安を消すのか。
自分で考えた「正解のようなもの」を信じるのか。
これはみなさんの自由である。
死ぬときに後悔しない方を選んだらよいとわたしは思う。
ただ、特に前者の場合。
そういうことね、と理解した気になる方が危ういため、いすれにしても常に謙虚で好奇心を持って調べる姿勢が必要だと付け加えておく。
元来、日本では海外に比べて数字やデータといったものを軽視する文化があった。しかし、今それが段々とAI分析などの数字やエビデンスなどの証拠となるものが説得に使われてきている。これはある意味いい傾向ではあるが、そのような証拠があるからと言って鵜呑みにすることは危険である。
ましてや、すべてをわかったような気になるのも改めないといけない。
私たちが想像するような成功する秘訣なんてものはなく、さらに私たちの夢見ているこの世の真理などない。
理解できないくらいに、常に複雑で美しい世界があるだけなのだ。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?