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ランド

この映画は、何かにとても傷ついた女性がスマホを捨てて
車も捨てて妹も捨てて、車じゃないと行けない山奥に入っていき
生活をする、というものだ。
何に傷ついたかはのちに少しずつ分かるのだが、
彼女は自分の命までもほぼ捨てる状態で投げやりに山奥で生活をする。
買いだめした缶詰も底をつき、熊に小屋を荒らされ、釣った魚で冬も越して
しまう。
傷ついて世捨て人になっているけれど、この、何もなくて
自分の力だけで生きていくしかない環境で何年も生きるということは、たぶん彼女にすごいエネルギーがあるんだろうなと思った。
それはそこに行った原因となることへの悲しみからの怒りなのかな。

でもいよいよ体力も限界で倒れてしまった時に、時々この山に狩りにくる
男性に助けてもらう。拒絶するのだけれど少しずつお互い距離を縮めていき
たぶん「友達」になったのだと思う。
狩りを習い、お互いの話を少しずつする。が、核心部には触れられない二人。男性が大切にしている犬を無期限で預かってくれと言って去っていく。
彼はずっと帰らない。彼女は眠れなくなり、決心してふもとの町に彼を探しに行くのだが・・・。

終始、静かな映画です。
山の四季、動物、山小屋、彼女、火、川。友達、犬。
私、山が大好きで知的な髪の長い女性も大好きみたいなので
本当に好みでした!この映画。

最近、考えてる「家族」「友達」のこと。
ちょっと「💡」と思うことがありました。
少し前に山本文緒さんの小説で「一時期、蜜月にあった友人と疎遠になったのだがその友人が遺言で犬を私に託したことがわかり、戸惑いながらもその犬と生活をする」というものを読んで、私が昔蜜月にあった友達のことを思い出したりしたのだけれど。

私にとって友達と家族の境目はまだわからないのだけれど
私が大事に大事に思っているうちの犬とか猫を
死ぬときに託すことができるのが友達だ!と思ったのです。

ランドに出てくる男性は、女性と違って普通の社会でも生活して
山に来るのは非日常のこと。しかも、なかなか距離が縮まらない女性で
お互いが心に傷をもっていることを知っているだけ。
彼にとって普通の世界で暮らしている人々の方が近かったはずなのに
わざわざこの山の中の女性に大切な犬を託しました。
彼にとって彼女は大切な友達だったんだろうと思います。
彼女が今後どうなるかはわからない、その先が見えない相手に
自分の大好きなペットを預けるってすごく勇気がいります。
できれば安定したところに確実に預けたいもの。
でもきっと大丈夫!と思ったんだろうなあ。

私がもう先が長くないって知ったら、とりあえずうちの家族に託していくと
思うけれど、もしかしたら友達にお願いするかもしれない。

トランクに死体を入れて夜中現れても「まず入んなよ」と言ってあげられる人と、うちの犬と猫を預けられる人の顔が見事に一致しました。
「友達」とは。になんとなく答えが見えてきました。


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