君の話が聞きたいと思ってます


あなたが今悩んで考えている事、思ってる事を話して欲しいと言ったら、重い荷物だよって言われました。
そしてその人は口を噤んでしまいました。

でも、でもね、話してみたらその荷物の中身を整理できて、3つだった荷物が2つにまとまって持ちやすくなるかもしれない。
スーパーの袋から飛び出すネギやごぼうの様に不安定なものが、少し大きな袋に移し替えれば安定するように。例えあなたがその大きな袋を持っていなくとも、私がたまたま持ち合わせてるかも知れない。

一緒に背負えないながらも、話すことで出来ることがあると思うんです。

重い荷物だと思わないで、そうゆう風に思ってほしい。
誰かに話そうとして、あのねやっぱり大丈夫と言い澱む前に。

大切な人なら、尚更のこと。

でもこれって、大切な人の助けになれたらいいなとかそんな烏滸がましい感情と、もう一つ「もしも、私の事だったらどうしよう、嫌われたら、どうしよう」っていう保身の気持ちが確かにそこにあります。
私はなんて低俗な人間なのかと、毎回嫌気がさすもののやっぱり案じてしまう。

そうして、寂しさが心の中で蔓延っていく。

人を好きになる事って孤独になる事だと、思いました。

好かれたいという感情に支配されてしまうのも、大きいです。そしてそれが空回りして「〜してあげたのに」って言葉がつい飛び交う関係になるのかもしれない。

ほんとうはしたかったからした筈なのに。恋人や大切な人を想って、あの綻んだ顔が見たくてした事なのに。

そう思って、わたしは最近、あの人の、砂糖で煮詰めたジャムみたいに甘いあの笑顔が見たい自分の為に、これを恋人にしたい。
そう考えるようになりました。

〜の為って言葉は時に、酷く相手に負担を掛けてしまう。
私は過去に、お前過積載なんだよって振られた事がありますが、いい表現だなぁって今でも思います。そりゃまあ、それからの恋愛が億劫になる程度に傷つきもしましたが。

そう、例えばトラックの重量オーバーの事を指す過積載。

〜の為にって言葉は、荷台に荷物をポンっと置く行為ですよね。積む予定ではなかった何かをあくまで善意として相手は受け取る。でも実はもう荷台はいっぱいだったり、ほかになにか積む予定があったりする。
ありがとうの笑顔が若干引き攣ってしまう。

でもきっとこの言葉を、貴方の喜ぶ顔を自分が見たくて....と続けたら。たくさん荷物積んでいて、これからこの積荷をなんとか整理しなきゃいけないって時に差し入れされたおにぎりぐらいになるかも知れない。水筒と、おにぎり、甘い卵焼き。もしかしたら唐揚げもあるかも。

そんな事を、思います。

でも、正直大切な人が悩んでる時、なんて声を掛けていいのか考えあぐねてしまう。
そりゃ、話して欲しい。
でも話す気配がない。

頑張って、私の事なのでしょうかとお伺いを立ててみる。
違うとの事。
いやいやほんとに??と疑う。
もう一度なにで悩んでるのか聞いてみる。
話さない。

なーーーんだこれもうどうしよう。

しつこく聞けないけど聞きたいあわよくば私がスパッと解決して惚れ直して欲しいでも解決するしないの問題じゃなさそうな話だったらうんうん聞く事しか出来ないやっぱ話すだけ無駄だったとか思われたくないヤダーーーー!

みたいな事が脳内でぐるぐるする。
もう保身ばっか。
でも相手が早く笑顔になって欲しい気持ちも100%ある。

読み合いってもうほんと、難しすぎ。人間って難しいな、もう。

好きな人に好いてもらうというこの、ミラクルがいつまでも続くように、わたしはまた今夜もどうしていいのか悶々と思考するのです。


人を愛する孤独を、愛せるように。



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