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”ストームトルーパー”は周囲を怖がらせる。違い・多様を意識しよう(ベターアイデア? v3-13)

欧州からの友達とお出かけ。「東京はまだマスクなのね。ヨーロッパはどこも全然していないよ。もう風邪ね。カタールのワールドカップ見た?。もう普通ね。誰もマスクなんてしていないよ。日本はまだマスクなのね、ちょっとびっくり。中国や韓国とかアジアはそうなのかしらね。」とのこと。

むむ、アジアの他の国の状況は知らないです。ところで、この彼はフランス人の男性。

「でもね、マスクしているとね、女性がみんな可愛くというかボクのタイプにみんなが見えてしまって、かわいいなぁー、ってプチ幸せになるんだよ。電車でも道歩いていても。これって良くない?マスクのお陰だよ」とボク。

すると彼は「僕も気づいたんだよ、それに。確かにそうなんだよ。でも、マスクを外す時を見たら、ちょっとあれ?って思う時もあるんだよ。だから、もうどうせ僕のタイプではないな、って思うようにしているんだよ。だからいちいちボクさんみたいに喜ばないよ。目だけで本当じゃないのに喜ぶの変だよ。」とのこと。

「えええ、そうなの。なんか、目だけで喜べるなんて、幸せじゃない?本当じゃないかもしれないけど、目は本当じゃない。」

「だって、知っているひとじゃないんでしょ。よくわからないなぁ。想像しているの?どんな顔かなぁ、って?」

「いや、想像なんてしていないよ。できないもん。一瞬のすれ違いとか電車で数駅いっしょとかだから。ただ、目が可愛いなぁ、って自然にドキってするんだよ。あ、そういう意味では、目がカッコいい男性を見ても、お、こいつの目の辺り、カッコいいなぁーって思うよーぅ。」

「いやぁ、僕は目だけでは何も思わないよ。というかね、マスクしていると、日本人がみんな同じに見えてしまうんだよ。日本人は目だけだと似て見えてしまうんだ。それがちょっと違和感なんだよ。フランスでは、フランス人と言ってもいろんなタイプが居るんだよ。だから、日本だと、なんかみんなが同じに見えちゃうんだよ。マスクしているとさらに。。。」

そして「スターウォーズのストームトルーパー(映画スターウォーズに”たくさん”出てくる白い鎧を着ている下層の兵士)状態だよ。」とのこと。

そっか、ボクらは感じないけど、もしかしたらちょっと「怖い」って思うのかもしれない、って発見だった。気づきだった。冒頭の写真、確かに、怖い。。。

海外でもマスクをすることにこだわる日本人が「マスクをしないように」注意されることもあるらしいけど、理解できる、と思えた。怖いのかも。「怖さ」、あるいは「全体主義」・「集団主義」、あるいは、何かを隠している、テロ的、に思うのかもしれない。

欧米でこそ、個人尊重の国なんだから、個人の問題であるマスクは許容してよ、個性・多様性を受け入れようよ、と逆に指摘したくなるけど、日本よりテロが身近で、全体主義への抵抗強い。ならば、話は別か。。。「郷に入れば郷に従う」べきですかね。

ふと思い出した。ボクの時代には学生運動なんてのはなかったのだけど、大学時代に、ある時、白いマスクをした黄色の安全帽(ヘルメット)をかぶった数十人ぐらいの集団に出くわした。怖かった・・・。その背景や理由は全くわからないけど、なぜかそんな集団が歩いて向かってきた。

話戻して、アメリカ人の友人にも同じことを言われた。日本に来るとみんなが似て見える、って。感染騒ぎの前のこと。その友人は、こう説明してくれた。「もちろん誇張してそう言っているだけなんだけど、アメリカより髪型・色、顔の形・色、ファッションなどのバラエティの「幅が狭い」って意味ね。」って。「アメリカも州や都市によってはそんなに幅が無いとこもあるけど、NYとかサンフランシスコとか大都市はバラエティね。アメリカは移民で構成されてきた歴史があるからね。」とのこと。

その友人は他のアジアやアフリカや移民の歴史ではない国は訪問したことがその時はなかったから、「他がどうかはわからない。」とのことでしたが、とにかく「日本に来るとそう思ってしまう。みんなが似て見える」と。

マスクをしていない時代でそうなので、マスクをしていたら余計にそうなのかもしれません。

香港の友人に、日本人と韓国人と中国人は見分けられる?と尋ねたことがあるけど、その友人は、「うん、僕はわかるよ」とのこと。一方、上述の同じアメリカ人に尋ねたら、「僕はわからない」とのこと。(なお、ここでの、XXX人ってどういう定義?なんて正論な指摘はここではちょっと無しで。。。)

パンダの子供が複数生まれて、飼育係さんは、見分けられる、みたいなものかしらね。遠いひと・日々接しないひとには違いがわからない。

スターウォーズのストームトルーパーの上司は、誰が誰ってわかっているのかな。。。どうやって指示しているんだろう。。。

「違い」って、当然ですが、ある方が全くもって良いですね。「多様」が人間の人生の豊かさを、おもしろい社会を、育てていますね。組織ももちろんそう。多様な人材、多様なスキルや知識・キャラクター・価値観・強みがある方が良いに決まっている。ま、そんなビジネスの世界でなくても、日々の生活も趣味もコミュニケーションも。。。

そして一方で、「違い」を認識できるチカラも、もちろん、あった方が良いですね。「違い」を見つけて、認める。「違い」が少ない・小さい・あまり無い、こともありますので、それを見つけて、認めて、評価できるチカラ。あるといいですね。

「違い」のある「多様」な人々がいるから、色んな文化、習慣、料理、スポーツ、ファッションなどあらゆることが育つ、洗練される。だから、受け身になる場合には色んな経験ができる。料理なんて、本当そうですよね、カレーにパスタにお寿司にフムスにタコスに。同じラーメンでも色んな味が。小さな違いに気づけたひとが、そこにこだわって大きな違いに成長させているのですね。人類の豊かさにつながっている気がします。

ストームトルーパーの世界だと、かなり怖いですね。みんなが全く同じ。マスクをした日本人を一部の海外の方がそう思ったとしても、わかるような気がします。「みんなが同じ」(に見える)は怖い。そして「危険」な思想をその背景に想像してしまう。

「皆は、”ビッグブラザー”の指示に従い、同じ行動をしろ。逸脱するな」、みたいな。日本よりも「多様」な社会・環境で生きていて、多様性の価値をより強く認識している人々、全体主義や画一性を特に危険に思う人々は、余計に気になるのかもしれません。

今日のベターアイデア:
「違い」・「多様」は人類の、生物の、地球の宝。小さな違いを見つけられるチカラ、見極められるチカラ、そしてそれにこだわるチカラ、大きな違いに成長させるチカラもすばらしいチカラ。大切にしたいです。マスクをした日本人の集団を異様に思い、ちょっと”怖い”かも、と思うのも理解してあげげて。特に「多様」(≒ 自由、平等、個性)を大切にする国々の人には、「みなが同じに見える」こと(そこから想像してしまう全体主義)は怖く、抵抗する対象、でしょうから(たぶん)。

以上

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