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お金の使い方:ソクラテスと「百聞は一見にしかず」の続きで学ぶ妙(ベターアイデア? v3-29)

仕事仲間と話をしていて、ソクラテスの話になりました。「この資料、ゼロベースでちょっと批判してよ。ソクラテスの無知の知とは違うのだけど、無知な状態で先入観無く見て欲しい。お願いできるかな。」的な流れから。

で、その仲間が、ソクラテスで好きな言葉は、「いかに多くの富を有するか、自慢する者が居ても、いかに使うが分かるまで、彼を、誉めてはならない。」なんです、とのこと。

この言葉、ボクは知らなかったのですが、なるほど、まさにその通りかな、と思いました。億万長者でも、ビリオネアでも、何でもありませんが、お金を何に使うかって大切、ですね、自分のレベルでも。誰かを育てる、仲間に役立つ、周囲に役立つ、鼓舞してあげる、そんなことに使いたいものです。お金持ちになって、そんな使い方ができたら、単なる自己満足かもしれませんが、良い人生のように思います。憧れですね。

自分の好きなこと・夢に挑戦し、社会への貢献ができて、気がついたらお金が入る。自分独りのチカラで全てを成し遂げたなんてことはありえません。だから、お金持ちになったら、次にそれを何に使うか。使い先だけではなくて、その目的は何か。誰のために、何のために。それらにも自分らしさ、信念があってしかるべきですが、そこに人間性がでそうです。

お金持ちになったのは誉めるべき、自慢したくなるのかな。相当の努力でしょうからね。ご自身は努力と思っていないかもしれませんが。ですから、お家も車も洋服も装飾品も一流、あるいは高級に。でも、その方に次に課せられる社会的な責務は使い道なのでしょうね。

ノーブレス・オブリージュでしょうか。

しかし、ソクラテスの時代、紀元前400年あたり。紀元前470年頃に生まれたのですって。その時からすでに富める者、富めない者はいたのですね。当然でしょうか。人類というか社会はいつの時代も似たり寄ったり。一定の階級がある競争社会なのですね。

突然ですが、「百聞は一見にしかず」(「漢書」(趙充国伝))、ですが、続きも創られたようです。出所は不明の様ですが。なるほどとは思えます。

百聞は一見にしかず
⇒ 百見は一考にしかず
⇒ 百考は一行にしかず
⇒ 百行は一効にしかず
⇒ 百効は一幸にしかず
⇒ 百幸は一皇にしかず。

同じですね。お金についても。どれだけあるかは問題じゃないのかもしれません。それを何に使うか真剣に「考え」「行動」に移すことが問われる。そして、それが誰かに役立つ「効果」がないと意味が無い。そして、人々の「幸せ」に繋がらないと意味が無い。そして、そのような目的でお金が使えることに、「感謝」できるマインドでないと意味が無い。イヤイヤ偉そうに、上から目線で、こんなの誤差の範囲の金額さ、なんてマインドでは寂しいかなと。

突然、古代文明の崩壊の話ですが:「諸々の問題がマヤ社会を蝕んでいたのはどう見ても明らかなのに、なぜマヤの王たち、貴族たちは、それらの問題を認識し解決することができなかったのかという理由を問わねばならない。王と貴族たちの関心は、間違いなく短期的なことに注がれていた。例えば、私腹を肥やすこと、戦争を行うこと、石碑を建てること~。人類の歴史に登場する大半の指導者と同じく、マヤの王と貴族も、長期的な問題に~留意していなかった。~。イースター島の首長たちがその時々に最大の石像を建てた~ように、また、アナサジの支配層の人間たちが、トルコ石のビーズを二千個つなげたネックレスで身を飾り立てたように、マヤの王たちも、よりみごとな神殿をより分厚い漆喰で塗り固め、互い負けまいと懸命になった。その姿はこれみよがしに浪費を重ねる現代アメリカのCEOたちを彷彿とさせる。~現実の重大な脅威を前にしながら、なんらの能動的な打開策を講じなかった~。」(「文明崩壊」(ジャレド・ダイアモンド著、楡井浩一訳、草思社))

社会が崩壊しつつある、自然が失われている、そんな時でも富める層は利己主義、では、ダメですね。言うのは簡単です。富めるまで至っていないから、まずは社会に貢献しちょっとでも稼げるようにがんばるべきかしらね。

今日のベターアイデア:
お金の使い方。「百聞は一見にしかず」の続きに習うのはどうかしら。何に使うか真剣に「考え」、「行動」に移す。誰かに役立つ「効果」がないと、人々の「幸せ」に繋がらないと、意味が無い。そして、そのような目的でお金が使えることに「感謝」できる。なんだか素敵なベターアイデアのような。まずは稼がないと!

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