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人/人生は一貫しない。善悪の色分け困難。それでも一貫すべく模索(ベターアイデア? v3-45)

アメリカのブランドコンサルで6年働き、仲間と作った会社で経営実践9年。商品・サービスのブランディングが好きな領域。ブランディングのボクなりの簡単な整理は:

1.あるニーズを持つと仮定(確信)したターゲット層が一定量いる前提で
2.そのニーズにマッチする本質的な効用(体験とその身体的および感情的結果)を生み出せる商品・サービスを開発し
3.その本質的効用、ターゲット層の財布、原価やコストを統合して整合する価格を決め
4.ブランド名やロゴ、その他商品・サービスによって必要な周辺要素(タッチポイントとか言われる)を、本質的な効用に妥当する一貫したデザインで展開できるようデザインガイドラインを作り、
5.そのガイドラインに則って、ターゲット層に届ける施策(広告やらキャンペーンやらパッケージやらPRやらチャネル展開、など)をする
6.売れ行き・ターゲット層の思考行動を調査・分析しながら修正する。

ブランディングでは「一貫性」がひとつの大切なキーワード。色んなタッチポイントでのデザイン等の「一貫性」。一貫性無いとターゲット層は混乱し、購入しづらい。

例えば、マクドナルドが新しく始める高級イタリアン「リストランテ・マクド」って言われても混乱。だって、マクドナルドの実態・イメージと一貫しないもの。一貫しないとその商品・サービスを買う妥当性も生まれない。高級イタリアンをデートや記念日に行きたい層がマクドナルドが展開するイタリアンに行く妥当性が無いもの。違うブランド名にしてマクドナルド要素はめいいっぱい隠すべきよね。

でも、一貫性って難しい。ガイドラインがあっても、社内に日々、あるいは全体的な会議などで大切さを伝えても、なかなか難しい。

だって人間って一貫性無いもの。自分だってそう。

本を読んでいたら、中南米の国の過去の独裁的大統領の話があった: 選挙は不正、反対勢力や邪魔な相手は殺害。でも、”なぜか”、”なぜ”だか、環境保護に対しては執拗なトップダウンでの、結果的には正しい、施策を多数実施した、というのだ。木々を大切に、海洋資源を大切に。農林産業をコントロール。そのお陰で(?)国土の荒廃・崩壊が防げた、とのこと。ま、この大統領の評価もこの国の歴史もボクは無知だけど、こんな悪人的な人物が環境保護に努めるのは「なぜ」と、腑に落ちない。これがポイント。

「わたしたちは、無意識のうちに、人間を単純に、”善”か”悪”かに色分けし、ある人物が徳性を備えているなら、その人物の行動のあらゆる面にそれが輝き出るはずだと考える。相手のなかに高潔で称賛すべき面をひとつでも見つけると、別の面では違うとわかったときに困惑を覚える。」(「文明崩壊」(ジャレド・ダイアモンド著。楡井浩一訳、草思社))

人間は首尾一貫した存在ではない。が、それをひとはなかなか認識できない。近所で事件が起き、犯人が捕まって:
「あぁ、あの方、そう言えば、怖い面があったわねー」と「一貫性」を見つけようと、”悪”には”悪”をあら探し。実は冤罪、無罪だったとわかったら、「変だと思ったよ。だってあのひとはとても優しいし、挨拶もするし、困った近所の方を助けるんだもの」と”善”には”善”をあら探し。

ミルやベンサムの幸せの総和が高ければ正義、なのか。カントのように行為自体に徳性がないと正義ではなく、結果は関係無いのか。あるいはアリストテレスまで遡りその人に徳があるならば、その人の行動は正義なのか。

上述の中南米の大統領は、環境保護で幸せになった関係者が、殺された人々やその関係者よりも幸せ総和が高いなら、この行為自体は正しい?(ってどこまで幸せ総和を計算すればいいんだ。。。)。心から環境を保護しないと中長期的にこの国の市民が困るという理性的・使命的な徳があった、なら正しい? 彼が徳あるひとであったなら。。。ま、これはなさそうだ。しかし、どれをとって正しいと言っても、何千人も暗殺していたら、許されないでしょうけど。でも許すも何も過去の話。。。

いずれにせよ、環境保護団体にも時に感じるが、自然への愛と暴力は一人の心の中に共存しえる。人間とはそういうもの。そして上記のような独裁者は、周囲からの指摘・学びが無いから、そもそも首尾一貫しない人間性の中で、いろんな自分がどんどん好き勝手に際立って、より理解できない存在ができあがる。

ボクの夢は「やさしいひとになり、そうあり続け、やさしいリーダーとして事業活動を通じて自分と仲間の人格・知的成長を実現したい」なんだけど、「やさしさ」を謳っているけど、周囲にとってはその形容詞と対立的な形容詞で表現されるボクが必ずあるのだろう、と内省。自覚することも、無意識なことも、ありそう。

「「やさしくありたい」とか言って、環境破壊を平気でしているよねー。」「「やさしくありたい」とか言って、深い気づきのないハリウッドの商業主義的アクション映画、好きだよねー。」
「「やさしくありたい」とか言って、結局、他人に厳しいよねー。」

「人生も、歴史も、純朴さや一貫性を求める人のための営為ではないのだ。」(出所:同上)、人間は首尾一貫な存在なわけがない、と思い、そんな自分を認識・許容しながら、気をつけようとも思う。なぜならやっぱり一貫性も大切と思うから。「あのひとはこういうひと。だから安心。信頼できる。お願いできる」(セルフブランディング)につながる良好な人間関係の一助になると思うから。一貫をあえて求めて行きたい。

今日のベターアイデア:
人間は首尾一貫した存在ではない。自分もそうだと受け入れると共に、一方で、一貫していることの大切さも思う。人間関係の円滑さ、信頼性、求められるために。首尾一貫したい自分のあるべき姿を定義し、努力し、周囲に伝え、仲間にバラつく自分を監視?指導?してもらうのがベターアイデアかと思った。指摘・気づき・改善・より良い関係の好スパイラル。

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