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三国志の時代の都はどこ?(後半)

魏の都は洛陽

曹丕(そうひ)は曹操の3男でしたが、長男の曹昂(そうこう)は宛城の戦いで戦死し、次男の曹鑠(そうしゃく)は病死しており、側室の子でありながら曹操の嫡子となります。

ちなみに母親の卞氏は曹操の正室となっています。

一時期、曹操は後継者を曹丕と弟の曹植にするか迷っていたようですが、217年に曹丕は太子になります。

西暦220年、曹操の死後、曹丕は魏王に即位し、丞相にもなります。

さらに、曹丕は後漢の献帝に禅譲を迫って皇帝になり、国号を魏としました。

都は許昌でも鄴でもなく、後漢の都だった洛陽に戻します。魏が後漢の後継の王朝ということをアピールしたかったのだと思われます。

ちなみに、禅譲した後漢の献帝は山陽公に封ぜられ54歳の天寿を全うしました。

孫堅、孫策、孫権

曹操中心に話を進めてきましたが、話を少し戻すと、孫権の父親の孫堅は小さな豪族の出身でしたが、後漢末の混乱の中で挙兵し、南陽の袁術の配下になります。

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