小さなもやもやから始まる負のスパイラル

 特に予定がないときに、することがないからといってぼんやりとSNSを眺めていると、大抵落ち込む。モヤモヤしたことがあったときはなおさら。特に気分が下がるのは、インスタで知り合い以上友達未満の存在が充実しているのを目の当たりにしたとき。

 ぼくの特に仲の良い友人たちは、インスタのストーリーで頻繁に人生を謳歌する様子を自慢することはしないし、かといってツイッターで他人を見下したり、悲観したりするようなことをあまりしない。

 ぼくの気持ちを下げるのは近からず、遠からず、の人。クラス一緒になったことないけど、同じ高校だった人。中3のときに同じクラスだったやつ。もう行ってないテニスサークルの知り合い。

 彼らが充実している様子を見ていると、自分と比較してしまう。ぼんやりとした不安はあるけれど、今特に具体的な不満があるわけではない。けれども彼らがぼくを否定する。家にこもっていることを見下してくる。からっぽな日常をバカにしてくる。今までぼくが見下してきたことに対して、ざまあみやがれと言ってくる。

 高校までは楽だった。しろと言われたことを、早くそして確実にこなせば周りから褒められた。気が塞ぐようなことがあっても、部活に懸命に励んでいれば解消された。ところが、大学生になると世界は180度回ってしまったようだった。
『何をするにも自由だよ。だから今はそのために勉強をがんばろうね。』
その言葉を励みにしてきた。我慢してきた。とうとう得られた自由は、思っていたよりずっとずっと不自由だった。

 コロナを理由にしていたが、大学に入学した当初は本当に何をすればいいか分からなかった。中学、高校でまともに遊んでこなかったから、遊び方がわからなかった。周りには、教えてくれる人も、真似する対象もいなかった。ただ見えるのは、画面越しのにせものの写真。

 話は少しそれるが、今日も少しモヤモヤした。昆虫採集の実習で時間が過ぎているというのに、みんな虫取りを続けていたことだ。終わりと言われたらやめるべきでしょうよ。少年野球などで刷り込まれた前時代的考えではだめなのだろうか。もやもやする。もっと先生も叱ったりすればいいのに。優しすぎんか。

 あーすっきりした。このモヤモヤが肥大して、sns問題が自分の中で再燃したというわけです。一応断っておきますけど、自分を構成する全てが偏屈、卑屈、僻みといったネガティブな感情なわけではないですよ。ただこの場でその部分を著しただけ。これからもモヤモヤしたときに現れようと思います。まとまった文章じゃなくてごめんなさい。これからも不細工な文章ばかりかもしれません。次の投稿からは、改善します。もし読んでくださる人がいるのなら、どうかお付き合いください。これからよろしくお願いします。

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