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noteを始めてエッセイストに憧れる

note初心者あるあるなのかもしれない。

noteで自分の記事を夜な夜な執筆しながら
「自分の書く文章って表現の幅が少ないな」 とか
「あれ?思ったより早く書き終わったな」 とか
思いや考えを文章にする事と、読める記事、もう少し言えば読者に読後感を植え付けられる様な文章を書く事は結構違うんだよ、という事を体験して認識した。

振り返れば昔から評論や小説を読む事は嫌いではなくて、新聞だってマンガだって文字媒体を読む事は比較的好きだったと思う。
中学2年生の夏ごろに歴史小説好きの父親が好きな小説を買ってくれるという事で、司馬遼太郎著『燃えよ剣』を買ってもらい当時の自分としては司馬遼太郎の世界観で歴史小説に初めて出逢ったという経験を36歳の今になってもかなりはっきりと覚えている。

高校の国語(現代文/評論と小説)も全く苦にならなかった。
テスト対策として、登場人物の感情表現部分にラインマーカーしたり前後の登場人物の関係性を整理したりするのが定石かもしれないが、自分は最初から最後までガッと集中して一気に読み切る。
テスト対策的な回答用紙への書き込みは一切しない。
それで大体のテストや模試は満点近かったし、実際にセンター試験も国語の分野はほぼ満点だった記憶がある。

現在の仕事も大雑把に整理すると、パワポやワードを作って関係者に説明する事が仕事の大半なので、考えを文字媒体に起こす作業はある種日常的で、文字に触れる機会は文字を仕事にしている人を除けば一般的な範囲だと思う。

光村図書さんが出版されている『ベスト・エッセイ2023』を購入し、プロのエッセイストの作品に触れて、自分のnote記事が物足りない理由はこれなんだな、という事を実感した。

昨日書店で購入して、行き帰りの電車の中で読んだだけなので本稿時には読了には至らずも、プロのエッセイストの表現の幅に正直に感動したというのが本音だ。

早速、影響を受けてこの記事の書き方もエッセイ””を意識して、
 ・見出しをつけない
 ・表現の仕方も単調さを排除(したい)
など意識するも、当然にして一朝一夕にできるものではなく、改めて人の目に触れる文章を書くのは難しい、けど楽しいな、というのを深夜二時に夜更かしnoteしながら感じました。

ピュアな紙文字媒体とnoteのようなネット媒体とでは、そもそも適切な表現方法は違うと思うけど、根本的な文章や文字の扱い方や資質は一緒ですね。

その内、100記事ぐらい書いて出版関係から是非ウチの雑誌で簡単なエッセイを書きませんか?、みたいなオファー頂けないかな笑
御関係者様からオファー頂ける様に記事のネタを面白くして文章表現にも磨きをかけておこ。

興味を持って頂けた方、好評を頂けた方、記事が面白かったよ、という方は是非noteやXのフォローをお願い致します。

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