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おせちは作るから頼むへ

全く年の瀬を感じない我が家の年末

コロナ過でここ二年は息子達も年末年始の帰省はしていません、というか年末年始に関わらず帰省していません、なので何ら普段の生活と変わらずです大掃除は暑くなる前、寒くなる前の年二回やるようにしているので普段の掃除で特別汚れるような事もないので窓ガラスをちょちょっと拭いてお終い、

私が子供の頃はお正月三が日はお店屋さんはみなお休みで外は「し~ん」と静まり返っていた記憶があります、なので年末の買い出しには荷物持ちで母親に連れられて行ったものです、

年末の錦市場(京都)の賑わいはまるで今のテーマパーク並みのごった返しようで母親の上着をしっかり握っていないと迷子になりそうでした、そんな賑いの中お目当てのお店が何店かあり足早やにそのお店へと急いでいくのです、買い物が済んだらさっさと家に帰ってきて息つく暇もなくおせち料理に取り掛かるのです、

カンからカンに干されペラペラだった棒鱈が何日か水につけられ戻された姿を見て、「へぇ~こんなんになるんや、」と何とも奇妙な姿の棒鱈を見てこれがおいしくなるのかと不思議に思ったものです、棒鱈を煮ている間にたたき牛蒡、田作り、煮しめなどを次々に作っていき、最後に蒲鉾や練り物、だし巻きなどが重箱に詰められ二段重ができあがります。

ハッキリ言って子供だった私にはおせち料理はごちそうというものではありませんでしたし好きでもなかった、おせち料理よりお年玉がもらえる、というのがお正月の楽しみでした、

還暦をすぎた今の私の年齢より若かった母親があれやこれやと準備から支度まで全て一人でやっていましたが忙しい中でも楽しそうに作っていたように思います、母親にとっておせち料理は特別で一年に一度のご馳走だったのでしょうね、今となっては母親の作ったおせち料理が懐かしく思い出されます

そんな子供の頃のおせち料理ですが息子達が家にいた頃、家を出てからも年末年始の帰省に合わせて私なりに作っていましたがここ二年のコロナ過で買い物に出かけるのもおっくうになり何とか黒豆だけは煮て後はほんの少し出来合いのもので済ませるようになりました、それに今では家庭で作らずとも豪華なおせち料理が頼める時代になったのですから便利な世の中になったものです、

おせち料理はもはや作るものではなく頼むものへと変わってきました、

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