見出し画像

Migdal Babel 居ない日本人

36度(緯度)とか3度(緯度)とか35度(温度)とか1度(回数)とか日本語は難しい。人間同士が簡単にコミュニケーションを取れないよう侵略や流出を防ぐ目的で言語を複雑に組み立てた先人たち。日本語は独特の文法のため、英語などの主要言語を習得する場合にヨーロッパ系派生の母国語をもつ人よりも困難である。
英語を話さない人を義務教育の教師にすることで、特に上昇志向ではない庶民階級の家庭の日本の子供が英語を学びにくい環境が作られている。
読み書きを中心に行う高校までに学んだ英語では海外旅行さえスムーズにはできない。言語の壁があり、日本人が外に出にくくなっていると聞く。

アンパンのゴルフ場を公園と勘違いし、そこへ行こうとルート検索をしながら歩いて迷っていた場所は、大使館関連のレジデンスエリアだった。
行ったり来たりしながらいろんな家のカメラに収められる不審者の私。
行っても行っても行き止まり。ナビが示す先は私有地になっていたりと、行き止まり続きだった。
照りつける太陽の下、静かな長い道を一人行く。
そんな時、やっと見つけた通行人のタイ風アクセントのおばちゃんに助けられた。
「向こうはレジデンスで行き止まりだよ。公園行くの?ずっと向こうだよ。雨も降ってきそうだよ。」と教えてくれた。
「ところであなた韓国人?」と聞かれ「日本から来た」というと「初めて日本人見たよ!中国人ならいるけど。」と珍しがられた。
「迷わないように他の人たちにも聞きながら歩いてね!」と、途中まで一緒に歩き見送ってくれた。

ある日、Grabタクシーを運転する中国系のおじちゃんにも聞かれた。
「もしかして日本人か?」と。
一発で日本人か、と聞いてくるのは珍しいパターン。「韓国人?」という無難(?!)な質問から出身地探りが始まることが多い。
「韓国人かと聞かれることはあるけど、日本人だと分かったなんてすごいですね。」と言うと、「韓国人はよく乗せる。あなたは英語がなんか違うから日本人かと思った。」と教えてくれた。ほんの数言しか話していないうちに聞き分けるとは、とても耳が良いおじちゃんだ。それとも私のカタカナパワーだろうか。
タクシー五年目で日本人を乗せたのは初めてだそうだ。
「えーっ!意外と日本人居ないものなんですね。」
「全然居ないよ」
このタクシー利用は引越しのためで、私はスーツケースとイオンの大きなエコバッグを持っていた。
私が乗るとき、そのドライバーはトランクを指差すだけで「自分で荷物を積め」とジェスチャーをしただけだったが、降りるときは荷物下ろしを手伝ってくれた。

この例以外にも、「初めて日本人みた」と言われることが何度かあった。
不思議なことに、片言の日本語を話す人でさえ「初めて本物の日本人みた」と言う。いわゆる「東方政策」の影響だろうか?それともメディア?

私自身も日本人を見かけたのは平均1ヶ月あたり3度くらいだった。
知名度のない田舎に住んでいた頃は0人だ。

海外にいる日本人同士が同じ空間に鉢合わせたとき、独特の空気が流れる。
私がそう勘違いしているだけかもしれないが、気分が確実に変わる。
自分が日本人であったことを思い出し、誰にもかけられていないはずのプレッシャーを感じ始める。

サイバージャヤに住んでいた頃は、エンチーチー(?)とかいうところ勤務の現地人に声をかけられ「この辺で日本人初めて見た。友達になってくれ。」と言われ給料が安いと泣き言を聞かされた。日本人上司は欧米並みの給料もらってる、とか言ってたけど本当かな?(…笑)


セントラルまで出ると、日本人をたまに見かけるようになる。
その中でも出没率が高かったのがとある日のサンフランシスココーヒーだ。
20人くらいいた客のうち私を含め6人が日本人だった。
この珈琲店はクーラーがガンガンのことが多く、入ると高額なコーヒー代と引き換えに細胞の命が救われる。(コーヒー1杯約300円。胃がじゃぼじゃぼになる巨大マグカップアメリカンサイズ、飲み切るまで毎回ゆっくり居座る私。)

この例は偶然であって、普段は本当に日本人を見ることがない。

お〜い、みんなぁ〜!どこ〜??

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?